簡単にいうと投資によって経済の大きさは実現し、安定的な成長経路をたどるという考え方である新古典派経済成長モデルを、宇沢はその限界まで推し進めて、新古典派経済学の限界をみようとしていた。宇沢の業績を検討した経済学者の高増明によれば、新古典派経済成長モデルではその成長経路が安定的とされてきたが、宇沢の功績では決して「安定的」なものではなく、むしろ不安定なもの、また経済がケインズ的な失業を伴うことにも注目するものだったという。その意味では、宇沢の新古典派経済学への批判的視座は、すでにその学的キャリアの最初から潜在していたといえる。
●経済成長至上主義の弊害
筆者の個人的な思い出を少々書くと、80年に大学に入学した当時の必修科目での教科書は、ジョーン・ロビンソンとジョン・イートウェルの『現代経済学』だった。宇沢が翻訳したものが当時出版されていた。ロビンソンは宇沢と同じように、「経済学の第二の危機」を唱えて積極的に新古典派経済学やアメリカ流のケインズ経済学への批判を展開していた。ここで「アメリカ流のケインズ経済学」と書いたが、これは新古典派総合ともいわれていた。特徴を簡単にいうと、ケインズ的な景気が悪いと発生する失業には財政・金融政策で対応し、そのようなケインズ的失業がなければ政府は市場に介入しないことが望ましい、という考え方である。
ただしこの『現代経済学』は宇沢の翻訳もわかりにくく、またロビンソンとイートウェルの主張も理解しがたいものがあった。あやうく経済学嫌いになりそうだったが、小宮隆太郎がロビンソンと、訳者の宇沢に対しても辛辣なコメントを書き、新古典派経済学の立場から丁寧に反論した『ジョーン・ロビンソン「現代経済学」の解剖』(79年)の存在を知って、どうにか混乱しないで乗り切ることができた。
というわけで、時代の雰囲気の一端はわかっていただけたのではないかと思うが、70~80年代はこのように世間も学的な場も反経済学の色彩が濃厚だった。この反経済学的な伝統は、ニューアカブーム、中曽根内閣の長期化、冷戦構造の終焉、前川レポートなど日米貿易摩擦の深刻化、バブル経済の発生と破裂などを契機として、いくつかのグループに分裂していく。
この反経済学の流れは、興味深いことに政治的イデオロギーとしては右左両派に受け継がれていく。典型的には、左派(日本的リベラル)では伊東光晴や内橋克人らのような流れ、右派では西部邁やその影響を受けている中野剛志らの流れである。私見では、右も左もこの反経済学から流れ出た人たちは、(1)金融政策への否定的ないし消極的見解、(2)反米、(3)貿易自由化への批判的視座、(4)市場メカニズムへの懐疑(市場原理主義批判)、などの諸点を共有しているように思われる。