ノーベル賞の発表が終わった。4年連続の日本人受賞はならなかったが、長崎生まれのカズオ・イシグロが文学賞を受賞し、日本は大いに盛り上がった。
生理学・医学賞は、体内時計を制御する分子メカニズムを発見したジェフリー・ホール氏(メイン大学)、マイケル・ロスバッシュ氏(ブランダイス大学)、マイケル・ヤング氏(ロックフェラー大学)ら米国の3人の研究者に与えられた。
この発表を聞き、日本中が落胆した。免役チェックポイント阻害剤ニボルマブを開発した本庶佑・京都大学特別教授が有力候補と報じられていたからだ。ニボルマブの医学的評価については、いまさら説明の必要はないだろう。免疫細胞のブレーキを解除し、免疫を活性化させることで、手術や従来の抗がん剤が効かなかった肺がん、腎臓がん、悪性リンパ腫の進行を抑制し、一部の患者では治癒の可能性も指摘されている。
販売元の小野薬品は2018年度の売上を2,030億円と見込んでいる。発売当初、肺がん患者に1年間ニボルマブを投与した場合の薬剤費が約3,500万円と高額であることが批判され、今年2月には緊急的に薬価が50%引き下げられたのに、売上は対前年比でマイナス5.3%だった。いかに医療現場で評価されているかが、おわかりいただけるだろう。今後、臨床研究が進み、その効用や限界がさらに明らかになるだろうが、すでに一定の評価は確立しているといっていい。
ところが、ノーベル財団は本庶氏にノーベル賞を与えなかった。もちろん、来年度以降に受賞する可能性はゼロではない。ただ、私はその可能性は低いと考えている。それは、ニボルマブを取り巻く環境は、ノーベルが希望したものとほど遠いからだ。
ノーベル賞の性格
1833年、スウェーデンで生まれたノーベルは、ダイナマイトなどさまざまな爆薬を開発し、巨万の富を得た。当時、世間は彼のことを「死の商人」と揶揄した。ノーベルは結婚せず、子どもをつくらなかった。彼が亡くなる1年前の1895年に遺言を残す。そして、そのなかで「人類のために最大たる貢献」をした人々に彼の遺産の運用益が分配されることを望んだ。これがノーベル賞の始まりだ。
これまでのノーベル生理学・医学賞の選考でも、ノーベルの遺言は遵守されてきたようだ。例えば、医薬品開発では、ペニシリン(1945年)、ストレプトマイシン(52年)、H2阻害剤・抗ウイルス剤(88年)の開発者が受賞している。胃酸分泌を抑制し、死の病であった胃潰瘍を治癒可能にしたH2阻害剤を除き、いずれも感染症治療薬だ。人類への貢献は絶大だ。いずれも比較的安価であり、世界中の誰もが服用できる。さらに2015年には大村智・北里大学特別栄誉教授ら3名が寄生虫およびマラリア治療薬の開発で受賞した。アフリカなど発展途上国の国民の健康を劇的に改善した。