(七つ森書館/清武英利・佐高信編著)
読売巨人軍代表(当時)の清武英利氏が、ある日突然記者会見を開き、読売新聞グループ本社会長で同球団会長の渡邉恒雄氏を告発し、読売による清武氏への訴訟に発展した件である。
騒動を大まかに振り返っておこう。
2011年10月20日、巨人軍2012年度コーチ人事案が確定し、内示を経たうえで、同球団代表の清武英利氏は、コーチとの契約締結など人事案の一部履行に着手した。ところが11月4日、渡邉氏が記者団に「俺は何も報告を聞いていない」と発言し、同月7日には同球団社長の桃井恒和氏に、2日後の9日には清武氏に、江川卓氏をヘッドコーチに招聘すると通告。そして11日、清武氏は渡邉氏を告発する記者会見を行い、18日に同球団により取締役を解任されたのだった。
1月24日、清武氏は都内で開かれた「日本の司法を正す会」で「清武の乱といわれるのは心外だ。テーブルをひっくり返したのは渡邉氏で、あれは“ナベツネの乱”だと思っている」と強調した。
●無関係な清武氏の著書にまで圧力?
さらに「渡邉氏の告発とまったく違う問題」(清武氏)なのに、この事案に関連づけられて、清武氏がグループで執筆した『会長はなぜ自殺したか 金融腐敗=呪縛の検証』(新潮社)の復刊が暗礁に乗り上げた。
七つ森書館は同書の復刊に向けて11年3月10日、読売新聞社社会部次長に出版契約書を送付。5月10日頃、同次長より「本社の法務部門と協議の上、私個人の捺印としました」と付箋をつけた契約書が送付されてきた。ところが、清武氏の記者会見が過ぎた12月1日、読売新聞グループ本社社長室法務部長と同主任が七つ森書館に来社して、「出版契約を合意解約したい。補償はお金でする」と申し出た。
『メディアの破壊者 読売新聞』(七つ森書館/清武英利・佐高信編著)によれば、申し出を受けた七つ森書館は、読売に対し出版に理解を求めたが、読売は東京地裁に「出版契約無効確認請求事件」として提訴。その理由について読売は、「権限を有していない社会部次長が署名しているから無効である」と主張したという。
こうした経緯をたどり、巨人軍・読売と清武氏が双方に対して、さらに読売が七つ森書館に対して、それぞれ以下のように複数の訴訟を提起した。裁判は継続している最中だ。
(1)巨人軍・読売が清武氏に対して、名誉毀損に基づく損害賠償請求。
(2)巨人軍が清武氏に対して、動産引渡請求。
(3)清武氏が巨人軍・読売・渡邉氏に対して、不当解任・名誉毀損に基づく損害賠償等請求。
(4)清武氏が巨人軍・読売・渡邉氏に対して、朝日新聞の巨人軍新人契約金報道【註1】に関して名誉毀損行為をされたとして、損害賠償等請求。
(5)清武氏が巨人軍・読売・渡邉氏に対して、週刊文春の原監督1億円支払問題【註2】に関して名誉毀損行為をされたとして、損害賠償等請求。
(6)読売が七つ森書館に対して、出版契約無効確認請求、販売差止仮処分。
複数の訴訟の中で、清武氏が「一番ショックだった。仰天した」と強調するのは、清武氏に対する証拠保全申し立てである。12年5月21日、巨人軍サイドが清武氏個人の携帯電話の通信記録などの提出を求めたのだ。清武氏の弁護士は「“もしかして裁判官が認めてくれるかもしれない”との期待のもとに起こしたのだろう」と推測したという。
この申し立てに対しては、清武氏側が反論書面を提出して、6月15日に巨人軍は申し立てを取り下げたが、清武氏は「もし費用を用意できなくて反論書面を提出できなかったら、裁判所は読売側の主張を認めることになったかもしれない」と読売側の横暴さを指摘する。
●社員を尾行?
一連の騒動に関して、清武氏が特に問題視したのは、読売新聞の記者が抱く恐怖心である。
「(11年11月11日の)記者会見のあと、電話をかけてきた部下や社内の友人と会ったが、ゲーペーウーとかKGBという言葉を用いて“つけられているかもしれないので、離れたところで会おう”と言ってきた。“ドン”に反旗を翻した人に近づくとパージされるという恐怖心があるのだろう」