(実業之日本社/石黒謙吾)
ーー今回、7つの「動詞」をキーワードにして、仕事や生き方についての熱い思いをまとめられたわけですが、そもそも「動詞」を斬り口にした理由はなんでしょうか?
石黒謙吾氏(以下、石黒) ある編集者と雑談していたとき、「最近、待ってばかりいる人が多いように感じるけど。これじゃマズイですよね」という話で盛り上がったんです。常々、社会人でも学生でも「待ち」の姿勢でいる人が多くなったように感じていました。「みんなが『指示待ち』みたいなことでは、社会が停滞してしまう」「結局、やみくもにでも動くヤツが強いでしょう」という話になり、そこから「“名詞で受動的に考える”ではなく“動詞で能動的に考える”」というテーマが浮かび上がってきたんです。
受け身の姿勢、待ちの姿勢では、ただ周囲に流されてしまうだけ。自分から能動的に動くことを意識しなければ、結局「ゼロのまま」なんですよ。何も変わらないし、何も動かない。一例ですが、上司に対して「仕事があったらなんでも言ってください」と言うのが能動と思っているかもしれないけど、まだ話にならない。それでは弱くて、自分から仕事をいくつか考えて「これとこれとこれ、やりましょうか」と申し出るのが真の能動。こうしたことをちょっと意識するだけで、人生に大きな差が生まれてくるはず。そして、動詞で物事を考えられる人が増えれば、本当に社会は変わると考えています。
自分では動こうともせず、安全なところから四の五の言うような、評論家的な人間がとても多くなってしまったと感じます。でも、たとえば選挙のときにちゃんと投票に行くことしかり、困っている人のもとへボランティアに赴く人しかりで、リアルに動き、参加していく人間の持つ迫力や説得力には、結局どんな評論家も勝てるわけがない。そして社会は、動く人間を肯定的に見る必要がある。
中島みゆきの『ファイト!』という曲がありますね。僕、中島みゆきが好きなわけでは全然ないんですけど、この前ラジオから流れてきたあの歌の「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」という一節がぐっと入り込んできた。要するに、いま僕がした話って、まさにこのことかなと。まわりからどう思われようが、動くヤツのほうがエライんです。「ただの目立ちたかり」「イタいヤツ」みたいな見られ方をされたとしても、自分から能動的に動いてる人間のほうが、何もしていない人間より数段敬意を払うべき。そうした捉え方をしていかないと、今の日本はけっして良くはならないでしょうね。
「自分ひとりが動いたところで何も変わらない」とあきらめている人が多いと思いますが、一人ひとりが、とにかく目の前のことに向かって真剣に動く姿勢を意識すれば、最終的に全体の底上げになることは間違いない。そういうふうに考えようよ……っていうところから、7つの動詞をフックに自分の思いを述べてみたいと考えたんです。
ーーそうした熱い思いが行間から滲んでくる一方で、「とはいうものの、なかなかうまくいかないこともあるよね」と、ある種のネガティブさや弱さにも理解を示し、「大丈夫」と励ましてくれる、絶妙なバランス感覚が本書の妙味と感じます。
石黒 そもそも、僕が、欠点だらけで、全然完璧な人間じゃないですからね(苦笑)。いろいろ失敗して、遠回りしてきましたから。7つの動詞のなかに「転ぶ」「離す」とネガティブにも捉えられる言葉を織り交ぜたのも、そういうことから。とかくお説教系のビジネス書とか自己啓発書って、キレイごとしか書いてない印象があります。つねにポジティブで、前のめりで。
ーーあの手の本のなかには「ポジティブな言葉以外クチにするな」みたいな極端な言説も多いですからね。
石黒 そんなの疲れるじゃん! って思うでしょ。キレイごとばかり言われても、できないものはできないよ、という本音もありますから。転んだり、離したり、気楽に構えていけるようなところがないと、やっていけませんからね。要するに、“陰と陽”を兼ね備えているのが人間。どちらも大事だし、そのバランスを取ることが重要です。まあ、陰の部分について触れているような自己啓発書とかのなかには、「執着するな。ぜんぶ捨ててしまえ」なんて、また極端なアドバイスをするようなものもあるけど、そんな単純なものでもないだろ、と。