原発投下は不要だった?ストーン監督の米国タブー破りから透ける、米国内の謝罪不要論
8月に入り、8月15日の終戦記念日が近づくにつれ、「広島・長崎への原爆投下は必要なかった」と訴えている米国の社会派映画監督、オリバー・ストーン氏の活動を各メディアが連日取り上げている。
ストーン氏は2012年、米国の現代史を捉え直すテレビドキュメンタリーシリーズ『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を制作。歴史学者のピーター・カズニック氏との共著として同名の書籍も刊行しており、8月11日付日本経済新聞によれば、原爆投下について「米国は日本が降伏寸前であったことを知りながら、ソ連を牽制するために投下を決断した」と断じている。
これはよく見られる分析ではあるが、多くの米国人の歴史認識としては、原爆投下はあくまで戦争の早期解決を目的としたものとされ、これによる日本の全面降伏がなければより多くの犠牲者が出ただろう、というのが一般的な見方だ。
例えば、10年8月6日に広島市で行われた平和記念式典に、米政府の代表として初めてジョン・ルース駐日大使が参列した際には、大手米メディアでも批判的な論調が目立った。ニューヨーク・ポスト紙が「日本のアジア攻撃は悲惨なもので、 原爆は戦争を効果的に終わらせた」「謝罪する必要はない」とする社説を掲載したことを、日本テレビがニュースとして報じた。
今年8月6日付のニューズウィーク日本版オフィシャルサイトにコラムを寄稿したジャーナリストの冷泉彰彦氏は、「アメリカが原爆投下に対して謝罪をしてはならない」というグループを、2つに分類して解説した。
ひとつは、アメリカの軍事的覇権を強く支持する保守派。「強いアメリカは決して謝ってはならない」という姿勢とともに、核兵器の抑止力を維持するには絶大な効果が前提であり、人類史上2回だけの使用例を否定すべきではない、というロジックを展開しているとしている。
もう一方は、前述の「核攻撃は戦術上正当だった」という考え方だ。冷泉氏は、これに韓国系・中国系などによる「アジア解放のための最後の一撃として正当」という史観が重なっていると見ている。このような背景もあり、今回ストーン氏が投げかけた議論は、米国内でも波紋を広げているようだ。
●原爆投下をめぐる幻想
そんな中、ストーン氏は8月4日に来日すると、広島と長崎での式典に参加し、東京や沖縄で公演を行うなど、めまぐるしいスケジュールで「もうひとつのアメリカ史」を伝えてきた。5日付の読売新聞によれば、ストーン氏は「原爆を投下した米国は英雄である」と教わってきたことを説明した上で、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。
さらに、11日付日本経済新聞に掲載されたインタビューでは、その舌鋒が現在のアメリカ政府にも向けられている。オバマ大統領が掲げる「核なき世界構想」についてストーン氏は、「プラハでの演説でオバマ氏は、核廃絶のプロセスについて『米国は最後の廃棄国』という趣旨の発言をしている。私はそれを指導力とは呼ばない」と批判。「フライシャー元報道官は、オバマ政権の2期目を『ブッシュ政権4期目』と呼んでいる」として、米国を変えると期待されたオバマ大統領へ失望のあらわにした。
もっとも、ストーン氏は日本の立場を全面的に擁護、支持しているわけではない。同紙のインタビューでは、「日本には『アジアを欧米植民地主義から解放した』とする歴史観もあると思うが、実際には英仏の『帝国主義』を模倣した側面もある」「戦後・日本の歩みにも非核三原則が含む矛盾のように、(これまで語られてこなかった歴史の側面に光を当てる)『もう一つの米国史』に通じる要素がある」とも語っている。
ウェブマガジン・webDICEが12日に掲載した、原水爆禁止世界大会(8月6日・広島)でのストーン氏のスピーチの全文によると、「みなさんに聞きたいのは、どうして、ともにひどい経験をしたドイツが今でも平和維持に大きな力を発揮しているのに、日本は、アメリカの衛星国家としてカモにされているのかということだ」と呼びかけている。
ストーン氏の主張に対する賛否は別として、日米の歴史観についてあらためて議論するためのテーマが投げかけられていることは間違いない。8月5日に発生した米軍ヘリ宜野座墜落事故をめぐり、日米地位協定に対する議論も活発化している中で、氏の主張に耳を傾けてみようと考える人も少なくないのではないか。
(文=blueprint)