影響は限定的でとうにヤマ場を越えたとみられていたギリシャ危機がここ数カ月で暗転、経済問題を超えた深刻な事態に発展しかねない状況になってきた。
直接のきっかけは、欧州連合(EU)が求めていた財政緊縮策の受け入れに、大差をもって反対姿勢を示した5日のギリシャ国民投票だ。この民意を武器にチプラス首相は一両日中にも、ギリシャのユーロ通貨圏からの追放に躊躇してきたEUに対し、債務カット(過去の借金の棒引き)などの追加支援を要求する勢いという。しかし、EUが納得できる抜本的な経済再建策を打ち出さずに支援の追加を求めるギリシャに対しては、債権国側の反発が大きく、両者の交渉が難航するのは確実とみられる。
いちかばちかの危険な賭けを繰り返すチプラス首相の外交手法が災いし、欧州の地政学的リスクが急拡大しかねない。ギリシャのEUや北大西洋条約機構(NATO)からの離脱リスクは絶対にないと断言できるのか。その最悪シナリオのリスクを検証してみよう。
危機の発端
今回の危機の発端は、2009年10月に発足したパパンドレウ政権が、前政権の行った財政赤字の隠蔽を明らかにしたこと。GDP比で5%程度とされていた財政赤字が、実際には13%前後に達していたことが判明した上、あまりにも楽観的な経済見通しを前提にした財政再建計画を公表したため、格付け会社が相次いでギリシャ国債の格下げに踏み切った。事態は同国国債の暴落にとどまらず、ユーロの急落や世界的な株安に発展し、ギリシャ危機と呼ばれるようになった。
この危機に対し、EUはまず10年5月に国際通貨基金(IMF)と協調して総額1100億ユーロの第1次支援を、次いで12年2月にIMFとECB(欧州中央銀行)は協調で総額1300億ユーロに及ぶ第2次支援を決定した。その条件としてギリシャに課されたのが、増税、年金改革、公務員改革、公共投資削減などの厳しい緊縮財政策だった。
緊縮財政策はパパンドレウ氏の後を受けたパパデモス首相の下で一定の成果をあげ、14年4月には国債の発行再開にこぎ着けた。国際金融界でギリシャ危機がヤマ場を越えたとの見方が広がる一方で、同国内では緊縮策の副作用もあって経済が大きく縮小、国民生活は窮乏し、大規模なデモや暴動が頻発するようになったのだ。
繰り返される、賭けのような対応
こうした危機に急進左派連合を率いるチプラス氏は、賭けのような戦略で対応してきた。