NEW
三池純正「歴史はこんなに面白い!」

「悪人」石田三成は、女性と見紛う優男だった!「冷たい官僚タイプ」はデタラメ?

【この記事のキーワード】

, ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

石田三成(「Wikipedia」より/宇治主水)
 徳川家康に敵対した人物として、石田三成は江戸時代を通じて悪人のレッテルを貼られてきた。そのため、三成に関する資料はことごとく破棄され、その実像は現在もよくわかっていない。

 例えば、三成の故郷である近江国の石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)では、石田家の屋敷が破壊され、敷地は埋められ、石田家代々の墓も割られて打ち捨てられている。三成の居城だった近江の佐和山城に至っては、石垣の石ひとつも満足に残っていないほど破壊され、今では城跡は見る影もない。

 そして、三成は風貌についても謎が多い。

 現在、三成の風貌を伝えるものとして、肖像画が1枚だけ残されている。それは、青森の津軽藩士・杉山家に伝来していたもので、江戸前期に模写されたものといわれている。

 なぜ、本州最北端の地に三成の肖像画が伝えられているのだろうか。実は、この杉山家は三成の次男である石田重成を祖としている。重成は関ヶ原の合戦後、家康の追及を逃れるために青森に行き、杉山源吾を名乗って津軽家に保護されたからである。

 三成の肖像画については、着用している裃(かみしも)のデザインが江戸末期のものであること、裃にある石田家の家紋が江戸末期以前には見当たらないものであるという理由から、「江戸末期の製作ではないか」との疑問が呈されている。

 しかし、肖像画は写本ではあるものの、肩衣(かたぎぬ)などの形式が古様であることから、「原本は桃山時代末期ごろに製作されたのではないか」という見解もあり、現在もその評価は定まっていない。

 模写である以上、なんらかの原本が存在していたはずだが、それは今も発見されておらず、問題の肖像画が三成の風貌を正確に伝えているか否かについては、謎のままだ。

 肖像画には、家紋の入った裃袴を着て、小柄で目の鋭い、神経質そうな初老の武士が描かれている。これが、実際の三成だとすれば、横柄な役人タイプでとっつきにくい感じがある。

推定身長156センチの三成


 しかし、実は今から100年以上前に、三成の風貌に科学的なメスを入れる試みがなされていた。

 三成は関ヶ原の合戦の後、家康の命によって処刑される。その首は、京都の三条大橋にさらされ、その後は胴体と共に京都の大徳寺三玄院に葬られていた。ただ、三成は謀反人とされていたため、当初は正式な墓ではなく、石塔のようなものが建てられていたようだ。

 三成の墓は、埋葬から約300年を経た明治40年に改葬されることになり、それに伴い発掘された。300年という長い沈黙を破り、墓が開けられると、ひとつの頭蓋骨が見つかった。三成の頭である。