「学歴は関係ない」は暴論? 公平を謳う企業の採用に潜む、隠れた学歴差別の罠
上記を一見すると、実にオープンかつクリーンな採用活動のように見える。実際、先日、MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)クラスのある大学で『就活の社会学』というテーマで講演した際に、この事例について質問したところ、この選考活動はクリーンだという評価のほうが多かった。採用担当者200名を前に講演した際は、否定的な評価も多かったが。
これは、新卒採用の現場でよく行われている、見せかけの平等の好事例だ。一見すると、オープンかつクリーンな採用のようだが、いくつかの罠がある。仕組み自体はクリーンに見えるが、運用によっていかようにも変えられる。面接に必ず呼ぶものの、そこであまり偏差値の高くない大学の志望者を落とすことになっていて、フィードバックも適当に行うのなら、意味がない。
2000年代半ばの採用バブルの時代には、人気企業ランキングを上げるために、採用するつもりのない大学の学生も会社説明会や面接に呼び、企業の魅力を刷り込んだ上で落とすという手法が一部の大企業で行われた。完全に茶番である。というわけで、これは運用上、いくらでも差別的なものになる可能性を秘めている。
さて、先ほど「一見すると仕組み自体はクリーンに見える」と書いたが、本当に仕組みもクリーンなのだろうか。違う。注目すべきは、この企業説明会や、エントリーシート、面接の中身である。もし、この中身が、ある特定の大学群や学生にとって有利なつくりになっていたとしたならば、全然クリーンではない。一定以上の言語能力、論理的思考力が求められる設問が用意されていたとしたならば、入試の選考においても、入学後の講義や試験においても言語能力、論理的思考力が求められる上位校が有利になってしまう。
このように、学校名を問わない採用においても、実は学歴が問われるような選考が行われていることを直視したい。
●「就活に強い大学」「無名だけどお得大学」に騙されるな
「そうか、やっぱり学歴か……」と思う方もいるだろう。そうだ、学歴だ。いや、もちろん大卒でも、しかも有名な大学を出ていても、そもそも就職できない人、仕事をする能力が低い人がいることも事実だし、大学を卒業していなくても活躍している人がいるのもまた事実だ。しかし、その一部の例をもとに、「学歴なんて関係ない」と結論づけるのも乱暴である。
実際、タテの学歴、つまり中卒、高卒、大卒別で見ると、最終学歴による賃金の差は明らかになっている。一方で、大卒の間でも差がついてきているのも事実だ。だから、「学歴なんて関係ない」と言い切るのも乱暴だし、確かに学歴だけで何もかも約束される時代でもないこともまた、事実である。
ただ、もうひとつ考えたいのは、別に学歴というのは偏差値の高さだけではないということである。
例えば、私が気になっているのは「日本大学出身者は、なぜ楽しそうなのか?」という問題である。日大は有名大学であり、伝統校である。しかし、早稲田大学や慶應義塾大学はもちろん、MARCHほど偏差値は高くない。ただ、日大の卒業生たちはよく「卒業してから、日大でよかったと思う」と話す。なにせ、マンモス大学で人数が多く、どこにでもOB・OGがいる。スポーツが強く、愛校心も持ち続けることができる。単純な偏差値だけでなく、このような社会的資本の違いがあるのである。
大学については、「日本の大学は遅れている」「米ハーバード大学には絶対に勝てない」「日本の大学なんて行くだけ損」などという言説もよく見かけるが、これも大変に乱暴で、確かに日本の大学の問題は多々あるが、とはいえ行くことにはそれなりに意味があるということだ。