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伊藤忠によるデサントの敵対的TOB成立…バブル崩壊と株の持ち合い崩れによる歴史的必然

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デサントの石本雅敏社長(2014年当時、写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 伊藤忠商事による、スポーツ用品大手のデサントに対するTOB(株式公開買い付け)が成立、伊藤忠のデサント株保有比率が30.44%から40%に上昇したことが、大々的に報じられている。積極的にメディアのインタビューにも応じ、伊藤忠の“不義”を非難していたデサントの石本雅敏社長も白旗を上げ、社長を退任することが濃厚とのことだ。

 今回のTOBは、株を買われる側のデサントを“屈服”させるためのものであり、日本では異例の大企業同士による「敵対的TOB」が成立したかたちとなった。TOBとは「Takeover Bid」の略で、株式の買い付け価格や取得希望の株数を公表して、株式を買い集めるものである。

 たとえば、株価2000円くらいのA社株式を、「株式60%を集めたいので、3000円で買う」と公表すると、当然、高値で売ろうとする株主や投資家がこれに応じる。多くの場合、企業買収で使用されるので、TOB=企業買収、乗っ取りの意味として用いられる。

「敵対的TOB」があるなら、「友好的TOB」もある。そして、そもそも日本では、TOB自体が少なかった。それがなぜなのかを考えていこう。

戦前、TOBで大きくなった東急グループ

「日本ではTOB自体が少なかった」と先述したのだが、厳密にいえば、「戦後の日本では~」と限定すべきであろう。換言するなら、戦前の日本ではTOB(というか、企業買収)は珍しいことではなかった。その代表的人物が五島慶太(ごとう・けいた)。東急グループの創業者である。この御仁は、買収、買収、また買収で事業を拡大していった。その強引な買収手法が強盗さながらだったので、「強盗慶太」とあだ名されたほどである。

 本業の私鉄では、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)と乗り合っていた東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)が、五島の経営していた地下鉄と路線競合していたので、京浜電鉄ごと買収する。京王電気軌道(現・京王電鉄)傘下のバス会社が、五島の経営するバス会社と競合していたので、これまた京王電鉄ごと買収する。

 戦時下の1942年に五島は、東京急行電鉄に京浜電鉄、京王電鉄、小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)の3社を吸収合併して「大東急」を形成。これが現在まで続けば、相互乗り入れが便利で運賃もお安くなったのだろうが、1948年に3社を分離してしまった(ちなみにこの時、京王電鉄の経営に不安を感じて、小田急の路線だった井の頭線を京王に譲渡させてもいる)。

東急グループの東急百貨店も買収でつくった。江戸時代以来続く名門呉服店・白木屋を買収して、東急の看板に掛け替えたものである。実は当初、五島が買収しようとしていた百貨店は白木屋ではなく、三越(現・三越伊勢丹)だった。ところが、三井銀行(現・三井住友銀行)の事実上のトップ・池田成彬(いけだ・せいひん)が、五島を呼びつけて買収をやめさせたのである。

三越は、慶應OBの日比翁助(ひび・おうすけ)が三井銀行から三越に転じて経営の近代化に成功した、当時は慶應閥で有名な会社だった。三井銀行の池田は福沢諭吉の甥を義父に持つ慶應OBで、この日比と特に仲が良かったという。しかも、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)の事実上のトップ、加藤武男は池田の義弟だったから、池田は加藤にも五島を支援してはならないと手を回していた。当時の二大銀行に反対されては、さしもの五島も三越を諦めざるを得なかったという。

 そう、つまり企業買収は一時的に大金を要するから、銀行の協力が不可欠なのである。

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