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日立“製作所”、サービス企業へ変貌…8千億円赤字から驚異の復活、自己否定的改革に成功

文=真壁昭夫/法政大学大学院教授
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東原敏昭・日立製作所社長(写真:つのだよしお/アフロ)

 日立製作所が事業ポートフォリオの“選択と集中”を進め、ソフトウェア開発力の向上などを通して稼ぐ力を引き上げようとしている。従来、日立は家電から重電さらには原子力に至る幅広い事業ポートフォリオを抱えてきた。高度経済成長期以降、この事業構造は収益の獲得と組織の安定、雇用の保護などを目指すために重要な要素だったといえる。日立はわが国を代表する大企業であるため、その経営は“不沈戦艦”と呼ばれたほどだった。

 ただ、1990年代中盤以降、日本経済がバブル期を経過し安定成長期に入ると、同社の広範囲なビジネスポートフォリオの効率が低下傾向を示すようになった。その後、リーマンショックの発生によって、日立は2009年3月期決算で約7800億円の最終赤字に陥り、重厚長大型の組織を維持することは限界に至ったとみられる。それ以後、経営陣は危機感を強め改革を推進している。それは、日立が組織の文化を自ら変えていることといってよい。同社が改革を進めIoT企業としての力を発揮するには、経営陣が同社のこれまでの企業文化を改革し続けることが必要不可欠だろう。

日立が進める聖域なき改革

 リーマンショック後の日立の経営を見ていると、経営者の意思決定の重要性がよくわかる。リーマンショック後、同社のトップに就任した川村隆氏は事業構造を見直し、今後の成長が期待できる分野に経営資源を再配分して収益力の回復を目指した。その取り組みは、中西宏明氏、および現社長である東原敏昭氏へと引き継がれている。

 川村氏以降の日立トップが重視してきたキーワードのひとつに、選択と集中が挙げられる。同社は、成長がピークに近づいた事業と成長期待の高い事業を選別し、既存事業からより成長期待の高い分野に経営資源を再配分できるよう、変革を続けている。日立は聖域を設けずに改革に取り組んできたといってよいだろう。

 リーマンショック後日立は、韓国や中国企業の台頭による価格競争の激化などの影響で競争力が低下してきたと考えられる事業を売却するなどした。その例として、自社ブランドテレビの生産を停止し、かつての主力事業だった火力発電事業も分離した。

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