千葉県房総半島は、かつて海底にあった地層が隆起して形成された。そのため、当時の地層を調べるには適した場所である。なかでも、養老川に沿った市原市田淵の「千葉セクション」の露頭(地層や岩石が露出した場所)では、約80万年の歴史を遡ることができる。
興味深いことに、その露頭では、地球史上最後の地磁気逆転層が確認でき、世界的にも極めて貴重な場所である。地質時代の区分は、生物の絶滅や地磁気の変化といった痕跡が明確に現れた地層に基づいており、去る1月17日、IUGS(国際地質科学連合)はその「千葉セクション」を前期‐中期更新世地質年代境界のGSSP(国際境界模式層断面及び地点)とする決定を下した。これにより、それまで定まっていなかった約77万4000~12万9000年前の地質時代の名称が「チバニアン(千葉時代)」と確定した。
これまですでに多くの人々が現地を訪れているが、一般の人々が露頭を観察したら、地磁気逆転を読み取れるのだろうか。千葉セクションにおいては、地磁気が逆転しているカラブリアン期、その地磁気逆転層と接するチバニアン期、そして、その後の後期更新世期の地層がきれいに1カ所に収まっていることは大きな利点である。だが、露頭を目にするだけでは、それらの地質区分や地磁気逆転層はわからない。予備知識が必要である。そこで、簡単に説明しておこう(昨年12月に当地にビジターセンターがオープンし、現地に行けば事前に最低限の知識を得ることができる)。
まず、目印は水平に伸びる厚さ2~3cmほどの白尾層である。これは、約77万年前に古期御嶽山の噴火による火山灰が堆積した地層である。地磁気逆転層は、その白尾層より下の地層(正確には白尾層が境界ではなく、その少し上位から下の赤い杭が打たれた地層)である。
地磁気逆転を確認するには、地層(崖面)に対して垂直に一定の間隔でサンプルを採取し(露頭にはサンプル採取痕として丸い穴が見られる)、そのなかに含まれる磁鉄鉱の磁化方向を調べる。磁鉄鉱は方位磁針の針と同様に南北を指すように地磁気によって磁化されるため、地磁気逆転層の上下において磁化方向に違いが現れるのである。
チバニアンはその上の黄色い杭から緑の杭に至る地層部分に相当するが、黄色の杭のある地層では磁鉄鉱の磁化方向(地磁気)が逆転の途中段階にあり、緑の杭が打たれた地層においては逆転が終了して現在と同じ向きに磁化されている。
なお、地磁気の逆転とは、地磁気の向きが南北逆になることであり、地軸がひっくり返るポールシフトを意味するものではない。過去360万年の間に地球は11回地磁気を逆転させてきており、次にそれがいつやってくるのかはまったくわからない。
チバニアン認定までの騒動
ところで、千葉セクションが地磁気逆転層を明確に示すGSSP(国際境界模式層断面及び地点)と認められ、約77万4000~12万9000年前の地質時代が正式に「チバニアン」と呼ばれるようになるまで、紆余曲折があった。
「チバニアン」の国際学会への申請は茨城大学や国立極地研究所などの研究チームが進めてきた。だが、それに対して、茨城大学の楡井久名誉教授率いる古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会の人々が国際機関等に待ったをかけたのである。楡井氏は、かつてはチバニアン申請を精力的に推進してきた人物だが、千葉セクションの地磁気データはねつ造されていて、地磁気の逆転が捉えられていないのではないかという疑義を投げかけたのである。
楡井氏によると、2015年夏、千葉セクション国際巡検(現地見学)の際、科学倫理に違反する行為が行われたという。本来、地磁気の逆転層、中間層、そして地磁気が今と同じ層の3つが同一の露頭で確認できることを科学的に証明せねばならない。ところが、実際にはサンプル採取は白尾層の上位50センチまでしか行っておらず、その上のデータは田淵から1.7キロ離れた柳川セクションで得られたものを貼り付けたものだった。だが、それによって、体裁上、国際巡検の参加者らに対しては地磁気逆転に至る一連の変化をきれいに示すことができたというのだ。
これに対し、研究チームの岡田誠茨城大学教授と菅沼悠介国立極地研究所准教授はその不備を認め、新たに白尾層の上位55センチから上を採取し、測定することに合意した。
なぜこのような不備が生じたのか。岡田氏の弁解によると、千葉セクション(田淵)では露頭の高さが限られており、柳川のデータを使ったということだった。また、サンプル採取は行っていたものの、申請には他に優先事項があった。それで、数カ月間放置してしまったところ、サンプルは変色して分析できなくなってしまった背景もあったという。
結局、岡田氏らは国際巡検の参加者らに対して、柳川のデータが含まれていたことを説明しなかったこと、そして、そのような行為に対する謝罪も反省も見られなかったことを楡井氏は不服とし、岡田氏らとの対立が生じることとなった。楡井氏らは国際機関にメールでデータの不備を報告していたため、岡田氏らにとって、白尾層の上位55センチから上での追加サンプルの採取は不可欠だった。また、千葉セクションがGSSPに認定されるには、研究のための自由な立ち入りが保障されることも条件だった。だが、岡田氏らにとってそれらは難しいものとなっていた。
というのも、楡井氏は千葉セクションの土地所有者から借地権を得ていたのである。そのため、岡田氏が現地に立ち入り、サンプルを採取するには、地権者の楡井氏に許可を取らねばならなくなった。そこで、仕方なく岡田氏は、立ち入りに関しては市に条例を整えてもらい(楡井氏は研究のための自由な立ち入りを認めていたが)、サンプル採取に関しては、千葉セクションから60メートル離れた市原市の管理地で行うことにした。ところが、新たにサンプルを採取した地点が楡井氏の土地だったことがのちに判明し、結果的に岡田氏は無許可でのサンプル採取、すなわち、楡井氏に言わせれば、盗掘を行っていたこととなった(警察に届け出られている)。
楡井氏とすれば、盗掘したサンプルから得られたデータが国際学会に提出され、認められることはありえない。科学倫理違反に加えて、そのような不正行為を犯した岡田氏は科学者として失格ではないかとさらに対立姿勢を強めたのだった。
それでも、結局のところ、岡田氏らは田淵の露頭全域をカバーするサンプル採取ができたことになり、地磁気の測定においても、より優れた方法(熱消磁法と交流消磁法)を採用して、地磁気逆転が存在したことを示すことができた。
千葉セクションにおいて、地磁気逆転を確認できることに間違いはない。そして、そこが地磁気逆転層を明確に示すGSSP(国際境界模式層断面及び地点)と認められ、約77万4000~12万9000年前の地質時代が正式に「チバニアン(千葉時代)」と命名されたことも揺るぎない。
ただ、疑義が生まれるきっかけとなったのは2015年夏だった。その前年には、STAP細胞論文の騒動があり、科学者はデータの取り扱いに慎重にならねばならないことが再認識された時期だった。そして、科学論文は、誰にどこを見られても落ち度がなく、完成度を高く仕上げてから、提出されるべきことを学んだはずだった。おそらく、楡井氏はそのようなことを意識し、最終的な申請の前に、正すべきことは正しておくべく、結果的に研究の妨害とすら思われるような過剰反応を示したものと思われる。そして、もちろん、岡田氏らのデータの取り扱いに関しても、反省すべき点は少なからずあったと思われる。
どのような経緯があれ、大多数の近隣住民らはチバニアン認定に喜んでいる。だが、今でも現地を訪れれば、露頭に「地磁気未測定の部分」という表示が残されている。予備知識がなくても読み取れるのは、地磁気逆転の痕跡ではなく、疑義の痕跡であるのは残念だが、それを反省材料に、なんの疑いの余地もない完成度を目指し、相応しい手続きを経て、学術調査・研究活動が進められていくことを願いたい。
(文=水守啓/サイエンスライター)
参考:
https://biz-journal.jp/2019/07/post_111638.html
https://www.city.ichihara.chiba.jp/bunka/bunkabunkazaitop/gssp.html