
地球では過去何回も北極と南極の地磁気の逆転が起きたことが知られている。そのたびに氷河期などの気象変動が起きたとの説もある。その最後の地磁気逆転現象が起きたのは約78.1万年前とされ、その境界は2人の地球物理学者、松山基範とベルナール・ブリュンヌの名前からMatuyama/Brunhes境界(M-B境界)と呼ばれる。現在~約78.1万年前まではブリュンヌ期(正磁極)、約78.1~約258万年前までを松山期(逆磁極)と呼ぶ。
房総半島の中央、千葉県市原市を流れる養老川河岸の崖も、約78.1万年前の地球最後の地磁気逆転の痕跡が残る貴重な崖だ。その崖に露出する約78.1万前の地層が、新生代・第四紀・更新世の前期更新世と中期更新世のGSSP(国際境界模式層・点)に認められれば、その時代から約12.6万年前までが「チバニアン(千葉の時代)」と命名されることになるが、その地質学上の国際審査に、暗雲が漂っている。
最終的に国際地質科学連合が認定すれば、露頭にゴールデン・スパイク(金の杭)が打ち込まれるが、認定不可能になればライバルのイタリアの地層の時代が「イオニアン」として認定されるか、あるいは白紙となる可能性もある。ちなみに、日本で最初にM-B境界として提案されたのは京都市伏見区の大阪層群の露頭だが、その露頭はすでに削り取られている。
「チバニアン」は茨城大学、国立極地研究所など22機関32名の研究者チームが2017年6月に正式申請を行い、3段階ある審査および承認のための最終投票のうち、昨年11月に第2段階の審査が終了。現在は就活になぞらえれば「内々定」の段階で、残る3次の本審査と最終投票での「内定」を目指していた。「内定」に至る条件として、「現地への自由な立ち入りと試料採取」が保証される必要がある。決定は委員の投票で決まり、決定までのプロセスはオリンピックの開催国決定に似ているが、選定条件を記すガイドブックの基準との合致が最大の決め手となる。研究チームのリーダーである岡田誠・茨城大学理学部教授がこう語る。
「本来なら5月には第3次の申請書を出せていたので、今年の秋には決定していたはずです。第2次審査も昨年の4月には終わるはずだった。それを古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会の方々が、いろんなメールをイタリア側研究者や国際機関に送りつけたので、それで審査が2カ月くらい中断したんです。『千葉セクションの地磁気データがねつ造されていて、地磁気の逆転が捉えられていないのではないか』という疑いをかけられたので、我々はそれに対して事実関係を説明するためのレポートを昨年5月18日に提出して、同19日に文部科学省で状況を説明する記者会見を開いたわけです。
昨年11月に終了した第2次審査では、疑義も含めて投票で決定しました。疑義自体、最初から科学的な議論ではなかったのですが、データの採り方などの状況を説明して、それが認められました。ですので、その件について国際的な学術の場での疑義はなくなりました。しかし、楡井氏はそれでもまだねつ造・改ざんだと国際機関にメールを送り続けているんです。でも、国際機関は相手にしないことを決めました。その件は問題ないと決着されているからです。それで、土地の権利を裏で獲得したということでしょう」

国は昨年10月に現地を天然記念物に指定し、市原市教育委員会が土地の買収を進めていたが、データのねつ造・改ざんを理由に「チバニアン」申請の取消を求める「古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会」のメンバーが、昨年4月にイタリア側研究者や国際機関にメールを送信。これを受けて5月に「チバニアン審査中断」と新聞が報道。さらに今年5月には、昨年7月の段階で、地権者との間で月5000円の賃料で10年間の借地権を設定し、すでに登記済みであることが判明。これにより「現地への自由な立ち入りと試料採取」の保証が難しくなった。
楡井名誉教授は、なぜチバニアン申請を妨害するのか

いきなり登場して「待った」をかけ、今やすっかりチバニアン申請を妨害する悪役となった楡井氏とは、一体どんな人物なのか。
楡井久氏は1940年10月、福島県会津の生まれ。山歩きや地層などの自然観察に興味を持ち、大阪市立大学大学院で地質学を専攻。大学院修了後1970年に千葉県職員となり、30年近く地盤沈下や地質汚染、液状化などの研究に取り組んだ。県水質保全研究所・地質環境研究室長として在職中に京都大学客員教授をはじめ多くの大学の非常勤講師なども兼任し千葉県職員を退職。1998年4月から茨城大学広域水圏環境科学教育研究センター教授に就任。2006年に茨城大学を退職し、NPO法人日本地質汚染審査機構理事長に就任。2009年4月に発足した「古関東深海盆ジオパーク推進協議会」の会長でもある。また、地質汚染診断士として豊洲のマンション敷地の地質汚染浄化の審査などにもかかわってきた。ジオパークは「大地の公園」のこと。日本国内には44地域あり、うち9地域がユネスコ世界ジオパークに認定されている。
この養老川河岸の田淵の露頭(千葉セクション)をGSSPに提案するための第一次調査は、すでに1991年から大阪市立大学の故市原実名誉教授、大阪市立大学の故熊井久雄名誉教授らを中心に行われており、千葉セクション開拓の先達である市原教授の愛弟子だった楡井氏も当初から調査に積極的にかかわってきた。田淵露頭の地権者や、田淵町会の人々との交渉、露頭の保存、試料採取の許可、シンポジウムなどの準備も担ってきた。91年の国際第四紀学連合北京大会では、楡井氏らが房総半島上総層群国本層の層序および古地磁気測定結果を発表。日本の房総半島はこのときはじめて、ニュージーランド、イタリアなどとともに候補地として名前があがった。
その後も、千葉セクションでは各国の研究者を招いての国際巡検が実施され、95年の国際第四紀学連合ベルリン大会のシンポジウムで、千葉セクションは熊井名誉教授らにより候補地として正式な提案がなされた。だが、国際第四紀学連合により、イタリア南部のMontalbano JonicoセクションとValle di Mancheセクション、および日本の千葉セクションの3候補地のなかからGSSPを選定する方針が正式に示されたのはようやく2006年のことである。
その前後には、新生代・第四紀・更新世の前期・中期の境界をめぐり国際機関でさまざまな議論が起こり、2004年には国際地質科学連合、国際層序委員会の層序表から「第四紀」の名称が消え、2008年の万国地質学会議オスロ大会で再び「第四紀」の名称が層序表に復活するまで混乱が続いた。同大会では候補地の予備投票も行われ、この時点で千葉セクションは第3位であった。
2010年1月、大阪市立大学の熊井久雄名誉教授より楡井氏に「このままだとGSSPは2011年の国際第四紀学連合ケープタウン大会でイタリアに決まりそうだ」との連絡が入り、楡井氏はGSSP選定に影響が強いマーチン・ヘッド教授、ブラッド・ピランズ教授を日本に招待して、千葉県市原市で行う国際シンポジウムの準備を開始した。
約1年の準備期間を経て、国際シンポジウムが2011年1月に千葉県市原市で開催された。その発表内容と現地の見学で両教授から「イタリアより千葉のほうがよいかも」との感触を得て、日本チームは新生代・第四紀・更新世の前期・中期の決定を4年先に延期するよう要請。同年12月の国際第四紀学連合ケープタウン大会で、GSSP選定が正式に4年先延ばしとなった。