拡大し続けるこの組織の勢いを、このサイトで報じるのは何度目になるだろう。その組織とは、六代目山口組の中核組織である三代目弘道会野内組で相談役を務める、平野権太会長率いる権太会である。
昨年来急速に勢力を伸ばし、いまや半グレまで含めると200人以上になるともいわれる権太会への大型移籍が、またしても実現したというのだ。
それは、8月13日のこと。これまで絆會(旧名「任侠山口組」)で若頭補佐を務めていた古川興業組長が権太会へと加入。同じく絆會傘下だった二代目古川組若頭をはじめとした同組最高幹部らが、二代目古川組改め、尼崎睦会(むつみかい)という新組織を発足し、権太会へと加入したという情報が流れたのである。
「二代目古川組は、組長の引退に伴い、尼崎睦会となりました。その尼崎睦会会長には、古川興業の高橋輝吉組長が就任したようで、さらに絆會本部の預かりとなっていた組織からも、同じ日に権太会への移籍があったと見られています。そのほか、神戸山口組の三代目古川組の組員も尼崎睦会へと移籍したという情報があります」(実話誌記者)
実際、それを裏付けるかのように、SNSでは、これらの情報が掲載された移籍報告書が業界関係者の間で拡散されている。それによれば、尼崎睦会として権太会へと移籍したのは12名。そのほかに、絆會本部の預かりとなっていた組織で組長代行を務めた幹部ら数名が権太会へと加入したことが記されている。
「業界内では、拡散されたこの移籍報告書の内容は真実だとの見方が強い。絆會は一時、脱反社を目指して、指定暴力団である現在の組織を解散することが濃厚と見られていた。実際にその方向で調整が進められていたのは間違いないだろう。だが、解散は撤回となった。しかし、なかには、解散後の移籍先を決めていた幹部たちも存在していたようだ。そんな幹部たちにとっては、一度進めた話を簡単に撤回するわけにはいかないのではないか。それが今回の大量の移籍に繋がった背景だと考えられる」(捜査関係者)
それにしても、権太会だ。昨年、神戸山口組系から六代目山口組系へと復帰し、三代目弘道会の若頭を務める野内組へ移籍して以来、飛ぶ鳥を落とす勢いで組織を拡大し続けている。さらに今回、下部組織として尼崎睦会を発足させたのだ。
絆會は、任俠団体山口組として発足した2017年4月、兵庫県尼崎市で結成式を行い、2回にわたる記者会見も同市内で行われた。いうなれば、絆會にとって、尼崎市内は重要な活動拠点だったということになる。その尼崎に本部を置く二代目古川組などの勢力が、今回、まとまって権太会へと移籍したというのだ。
神戸山口組や絆會から、かつて袂を分かった六代目山口組サイドに移籍、復帰するケースがこのところ増えているが、今回の移籍劇も、そうした動きをさらに加速させることになるのだろうか。