
日本学術会議の新会員候補6人が任命拒否された問題は、安倍晋三・前首相が退任直前に仕掛けた“時限爆弾”だったのではないか。そして菅首相は、そうと知りつつ、それが爆発するにまかせたのではないか。ことの経緯を見ていると、そう思えてならない。
誰が、いつ、6人を“落選”させたのか
10月9日に行われた朝日新聞、毎日新聞、時事通信3社によるグループインタビューで、菅首相は自身の関与について、次のように述べている。
「最終的に決裁を行ったのは9月28日。会員候補のリストを拝見したのはその直前」
さらに、「その時点では最終的に会員となった方がそのままリストになっていた」と明かし、105人の推薦者リストは「見ていません」と明言した。
「見てはいない。聞いたのだ」という、“ご飯論法”の余地が残されていないわけではないが、105名ものリストである。それを読み上げさせる、というのは、あまり現実的ではない。ここは、菅首相は105人の推薦者の氏名等については知らなかった、と受け取っていいのではないか。
その一方で、菅首相は同じインタビューで、こうも言っている。
「(任命は)広い視野に立って、バランスの取れた行動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきことを念頭に判断した」
インタビューで事実の一端を引き出したのはよかったが、記者たちには、ここでもう少し問いを重ねてほしかった。
候補者について知らないのに、いったい何に基づき、どのようにして6人を拒否する「判断」ができたのか? この6人を任命すると、なぜ広い視野やバランスの取れた行動が損なわれるのか? 首相が推薦者リストを見て指示したのでないなら、いったい誰が、どのような権限に基づいて、6人を“落選”させたのか……?
首相が一定の人の排除を判断したのであれば、事前に現状を把握し、人事の方針を指示しておく必要があるだろう。
しかし菅政権が発足したのは、9月16日である。18日には副大臣、政務官の人事を行い、20日からオーストラリアのモリソン首相、トランプ米大統領、メルケル独首相、文在寅韓国大統領などとの電話会談を行い、首脳外交をスタートさせた。
そういう最中の9月24日に、内閣府は学術会議の推薦者リストから6人を外した人事案を起案している。
新政権が始動して、わずか8日だ。しかも4連休が含まれる。この間に、菅首相が学術会議の人事についてなんらかの方針を示し、それに基づいて105人についての調査や人選を行ったと考えるには、いささか時間が短すぎるように思う。
実際には、菅首相は人選の「判断」などしていないのではないか。6人を排除した事実経過についての説明くらいは受けたかもしれないが、それに自身の「判断」などを加えることなく、官僚が持ってきた書類にサインをした。あえていえば、自身の判断は加えない、という「判断」をした。これが実態ではないだろうか。
ただ、日本学術会議法では、会員の候補者は「優れた研究又は業績がある科学者」のうちから同会議が「選考し」、「内閣総理大臣に推薦」し、「(この)推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とことになっている。
首相の「判断」なしに、官邸官僚が勝手に6名の人を“落選”させたとなれば、人事の正当性が失われ、首相のガバナンス能力も問われる。だから、とにかく自分が「判断」したと言い張るしかないのだろう。
今回の人事について、官僚になんらかの指示を与えた者がいるとすれば、それは安倍前首相、もしくはその意を受けた者ではないか。
学術会議が、新会員105人の推薦者リストを官邸に提出したのは、8月31日。安倍氏は、退陣を表明した後ではあるが、なお首相の座にある時期だ。退陣の理由は持病の悪化による体調不良だったが、「首相動静」を見ると執務は通常通りにこなしていたようである。
この時点で、安倍首相の意向を受けた官邸官僚が人選を始め、菅首相は結果を受け取って、そのままゴーサインを出した。そういう「流れ」ではないか。
例のインタビューのなかで、菅首相は安倍前首相からの「引き継ぎ」は否定しつつ、「一連の流れのなかで判断した」と述べている。
安倍政権から始まった人事への不当介入
安倍氏には学者組織に切り込みたい、強い「動機」がある。2015年に憲法解釈を変更して集団的自衛権を一部容認する安保法を制定する際には、日本を代表する学者や研究者たちが「安全保障関連法案に反対する学者の会」を結成して反対の声を上げた。その発起人には、日本学術会議の元会長も含まれていた。
また、安倍政権は2015年度から軍事技術に応用可能な基礎研究に対する助成を始め、予算は2019年度には101億円まで増加させるなど、軍民両用(デュアルユース)の基礎研究への助成に力を入れた。