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江川紹子の「事件ウオッチ」第162回

【日本学術会議“任命拒否”】は安倍前首相が仕掛けた“時限爆弾”? 江川紹子の考察

文=江川紹子/ジャーナリスト
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9月14日午後、自民党総裁選で新総裁に選出された菅義偉官房長官(写真左)と安倍晋三首相(肩書は共に当時)。「安倍政権の継承」を掲げる菅首相は、前政権の“負の遺産”まで引き継ぐのか……。(写真:Getty Images)

 日本学術会議の新会員候補6人が任命拒否された問題は、安倍晋三・前首相が退任直前に仕掛けた“時限爆弾”だったのではないか。そして菅首相は、そうと知りつつ、それが爆発するにまかせたのではないか。ことの経緯を見ていると、そう思えてならない。

誰が、いつ、6人を“落選”させたのか

 10月9日に行われた朝日新聞、毎日新聞、時事通信3社によるグループインタビューで、菅首相は自身の関与について、次のように述べている。

「最終的に決裁を行ったのは9月28日。会員候補のリストを拝見したのはその直前」

 さらに、「その時点では最終的に会員となった方がそのままリストになっていた」と明かし、105人の推薦者リストは「見ていません」と明言した。

「見てはいない。聞いたのだ」という、“ご飯論法”の余地が残されていないわけではないが、105名ものリストである。それを読み上げさせる、というのは、あまり現実的ではない。ここは、菅首相は105人の推薦者の氏名等については知らなかった、と受け取っていいのではないか。

 その一方で、菅首相は同じインタビューで、こうも言っている。

「(任命は)広い視野に立って、バランスの取れた行動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきことを念頭に判断した」

 インタビューで事実の一端を引き出したのはよかったが、記者たちには、ここでもう少し問いを重ねてほしかった。

 候補者について知らないのに、いったい何に基づき、どのようにして6人を拒否する「判断」ができたのか? この6人を任命すると、なぜ広い視野やバランスの取れた行動が損なわれるのか? 首相が推薦者リストを見て指示したのでないなら、いったい誰が、どのような権限に基づいて、6人を“落選”させたのか……?

 首相が一定の人の排除を判断したのであれば、事前に現状を把握し、人事の方針を指示しておく必要があるだろう。

 しかし菅政権が発足したのは、9月16日である。18日には副大臣、政務官の人事を行い、20日からオーストラリアのモリソン首相、トランプ米大統領、メルケル独首相、文在寅韓国大統領などとの電話会談を行い、首脳外交をスタートさせた。

 そういう最中の9月24日に、内閣府は学術会議の推薦者リストから6人を外した人事案を起案している。

 新政権が始動して、わずか8日だ。しかも4連休が含まれる。この間に、菅首相が学術会議の人事についてなんらかの方針を示し、それに基づいて105人についての調査や人選を行ったと考えるには、いささか時間が短すぎるように思う。

 実際には、菅首相は人選の「判断」などしていないのではないか。6人を排除した事実経過についての説明くらいは受けたかもしれないが、それに自身の「判断」などを加えることなく、官僚が持ってきた書類にサインをした。あえていえば、自身の判断は加えない、という「判断」をした。これが実態ではないだろうか。

 ただ、日本学術会議法では、会員の候補者は「優れた研究又は業績がある科学者」のうちから同会議が「選考し」、「内閣総理大臣に推薦」し、「(この)推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とことになっている。

 首相の「判断」なしに、官邸官僚が勝手に6名の人を“落選”させたとなれば、人事の正当性が失われ、首相のガバナンス能力も問われる。だから、とにかく自分が「判断」したと言い張るしかないのだろう。

 今回の人事について、官僚になんらかの指示を与えた者がいるとすれば、それは安倍前首相、もしくはその意を受けた者ではないか。

 学術会議が、新会員105人の推薦者リストを官邸に提出したのは、8月31日。安倍氏は、退陣を表明した後ではあるが、なお首相の座にある時期だ。退陣の理由は持病の悪化による体調不良だったが、「首相動静」を見ると執務は通常通りにこなしていたようである。

 この時点で、安倍首相の意向を受けた官邸官僚が人選を始め、菅首相は結果を受け取って、そのままゴーサインを出した。そういう「流れ」ではないか。

 例のインタビューのなかで、菅首相は安倍前首相からの「引き継ぎ」は否定しつつ、「一連の流れのなかで判断した」と述べている。

安倍政権から始まった人事への不当介入

 安倍氏には学者組織に切り込みたい、強い「動機」がある。2015年に憲法解釈を変更して集団的自衛権を一部容認する安保法を制定する際には、日本を代表する学者や研究者たちが「安全保障関連法案に反対する学者の会」を結成して反対の声を上げた。その発起人には、日本学術会議の元会長も含まれていた。

 また、安倍政権は2015年度から軍事技術に応用可能な基礎研究に対する助成を始め、予算は2019年度には101億円まで増加させるなど、軍民両用(デュアルユース)の基礎研究への助成に力を入れた。

 そんな最中の2017年3月、学術会議は「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表。「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」などとする、過去の声明を継承することを明らかにした。

 この声明には、法的拘束力はない。しかし同年3月10日付け産経新聞は、社説で「日本を守るための軍事科学研究を行おうとしても、大学の審査制度が一律にこれを妨げる方向で運用される恐れさえある」として、学術会議の対応を「国の平和、国民の安全を追求する戦略や計画の意義を一顧だにしない姿勢」などと批判している。

 また、安倍首相を支持してきた櫻井よしこ氏が理事長を務めるシンクタンクも、学術会議を強く批判するメッセージを発信した。

 安倍前首相にとって学術会議は、自身の政策に水を差す、目障りな存在。人事を通じてその独立性にくさびを打ち込みたい思いは、ひとしおだったろう。

 10月7日付毎日新聞電子版に掲載された、2011~17年に学術会議会長を務めた大西隆・東京大名誉教授のインタビューによれば、安倍政権の介入は「2014年10月以降のある時点」から始まったようである。この時に、新たな会員候補の推薦について、官邸側から「(学術会議として)最終決定する前に候補者を説明してほしい」と要求された。2016年に、会員が70歳の定年を迎えて3つのポストが空いた際には、官邸の求めに応じ、1つのポストに2人の候補者を並べて候補者リストを提出したところ、2つについて差し替えを要求された。同会議側はこれに応じず、補充を断念。2017年の半数改選の時にも、選考状況の事前説明と、改選数より多めに候補者を出すことを、官邸から求められた、とのことだ。

 菅氏も安倍政権を支えてきた者として、安倍氏の「学術会議憎し」の思いは共有していただろう。だからこそ、“安倍人事”にそのままゴーサインを出したのではないか。

 ただ、2016年や2017年の出来事は、当時は報道されたり、社会で問題視されたりすることはなかった。そのために、もしかすると菅首相は、安倍前首相が仕掛けた“時限爆弾”の威力を見誤ったのかもしれない。

議論のすり替えでは終わらない

 今回は、排除された学者の1人がFacebookで事情を暴露。それを共産党機関紙「赤旗」が取り上げるや、複数の一般紙が1面で報じ、NHKや民放のニュースでも大きく扱い、菅政権の体質に対する疑問や批判も飛び交い始めた。野党議員も拒否の理由を説明するよう求めている。

 これに対し、対応の準備ができていなかった政府は、呪文のように「総合的、俯瞰(ふかん)的」という言葉を繰り返してやり過ごすしか策がなかったのだろう。

 この言葉の出典は、閣僚と有識者で構成される総合科学技術会議が2003年にまとめた意見書。そこにはこう書かれている。

<日本学術会議は、新しい学術研究の動向に柔軟に対応し、また、科学の観点から今日の社会的課題の解決に向けて提言したり、社会とのコミュニケーション活動を行うことが期待されていることに応えるため、総合的、俯瞰的な観点から活動することが求められている>

 ここでの「総合的、俯瞰的」の意味は、これに続く文章を読めばわかる。

〈人文・社会科学を含む総合的な視点〉

〈科学者コミュニティ総体を代表し、個別の学協会の利害から自立した科学者の組織とならねばならず〉

 要するに、学会や学派、学閥その他既存の「勢力図」に影響されず、高い専門性と広い視野をもって様々な提言を行う組織であることを求めたものだ。個々の会員が、あらゆるジャンルに精通したオールマイティであることを求めたわけではない。今回の6人拒否の理由に持ち出すのは、はなはだ不適当だ。

 しかも拒否された6人は、法学や歴史学、宗教学など人文・社会科学系の研究者ばかりだ。今回の人事がこのままであれば、こうしたジャンルで欠員が出ることになり、総合科学技術会議が「総合的」観点を求めたのとは矛盾するように思える。

 いずれにしても、破裂した“時限爆弾”によって上がった火の手は、「総合的、俯瞰的」の呪文を繰り返しても収まらない。学者や研究者は、たいてい粘り強く、追及される側にとっては、しつこい。予想外の展開に、菅首相はいささか困っているのかもしれない。

 ならば、人事を撤回するなり、6人を追加任命して事態の収拾を図ればよい。しかし、新政権がスタートしたばかりで、国会開会前に野党に譲歩するような弱腰の態度は見せられず、安倍人事を否定することもできない。そのために、“呪文”を繰り返して時間を稼ぎ、学術会議の組織見直しなど「行政改革」に話題をすり替えることで事態を乗り切ろうとしている。

 安倍前首相の“お友達”や政権サポーターは、それに協力しようと躍起になって、虚実取り混ぜた学術会議叩きを展開している。

 甘利明・元経済再生担当相のブログなどが発信元になって、学術会議を「中国の軍事研究に参加」「千人計画に協力」「反日組織」などと非難する、根拠不明、事実に基づかない情報が、ネットを駆け巡る。一部のテレビ番組でも、事実無根の情報が発信された。何やら、学術会議のイメージを低下させようという動きは活発だ。

 この機に菅政権に売り込みたい政治家なども、これに便乗して、盛んに政府に加勢する発信活動をしている。

 しかし、菅首相自身がインタビューで、学術会議の推薦者リストを見ていないことを明かしてしまった以上、今回の人事のプロセスが透明にならなければ、この問題は終わらない。森友学園を巡る公文書改ざん、「桜を見る会」での「ジャパンライフ」会長などの招待、河井克行・案里夫妻への多額の政党助成金などに加えて、もうひとつ安倍政権からの負の遺産を、菅政権は背負い込むことになる。

 そうした事態を避けるためにも、「誰が」「どのような権限に基づいて」「いかなる理由で」6人を排除する人事が決められたのかを、政府は速やかに明らかにすべきだ。

 それが実現するまで、首相にインタビュー等の機会を得た記者たちは、愚直に同じ問いを発し続けてほしい。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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