自殺した元妻が語った、山尾志桜里議員と倉持弁護士の「残酷な仕打ち」…取材記者が見た真相
4月28日発売の「週刊文春」(文藝春秋)に、山尾志桜里衆議院議員にまつわる記事が掲載された。速報記事を出した「文春オンライン」記事によると「山尾氏の議員パス不適切使用の詳細に加えて、山尾氏と倉持氏の現在の関係、そして倉持氏の前妻・A子さんが離婚後の昨年10月自殺していた事実を報じている」(4月27日配信)と記事の概略が紹介された。
「週刊文春」が記事を書くと聞いて、私は慌てて早刷りを入手した。記事によると山尾氏は倉持麟太郎弁護士との逢瀬を今も続けているという。そして不幸な出来事の記述も――。記事を読み進めていくにつれ、やりきれない気持ちになり、胸が痛くなった。
私にとって山尾氏は因縁深い人物である。
2017年、私は「週刊文春」記者だった。そのとき『山尾志桜里がイケメン弁護士と「お泊まり禁断愛」』(2017年9月7日号)という記事を取材班のキャップとして書いた。当時、山尾氏は民進党幹事長に就任する予定だった。その最中に不倫密会を続けていた。民進党がこれから自民党と対峙していこうという大事な時期だっただけに、私は「野党政治家は何やってんだ?」と呆れたことを覚えている。
二人が入室した都内ホテルは、大きなベッドが置かれているシンプルな部屋だった。男女がホテルの一室で過ごすということが意味することについて、ここで多くを語る必要もないだろう。張込みを行った取材班の誰もが、あの夜のことを鮮明に覚えている。
およそ半年後に、倉持氏の元妻であるAさんのインタビューを行った。私が書いた取材依頼の手紙が取材実現の契機となった。
憔悴しきっていたAさん
インタビュー場所に現れたのは上品で慎ましい女性だった。家庭を破壊され、長男の親権も奪われ全てを失ったAさんは憔悴しきっていた。おそらく彼女は週刊誌の取材など受けたくはなかったはずだ。Aさんの震える手が、そう物語っていた。だが、彼女には訴えたいことがあった。「せめて愛する息子だけでも自分の手許に帰して欲しい。いまはそう切実に願っています」と絞り出すような声でAさんは語った。この言葉を伝えるために彼女は取材を受けてくれた、私はそう思った。
当時の「週刊文春」取材班はAさんの言葉を沈痛な思いで聞いた。そして報道によって、彼女の苦しい状況が改善されることを願った。
Aさんの手記という形で『山尾志桜里さん、夫と息子を返して』(18年3月22日号)という記事を私は書いた。衝撃的だったのはAさんの言葉によれば、山尾氏はAさんが留守の間に倉持氏宅を訪れ夫婦の寝室まで出入りしていたということだった。
あまりの所業に唖然とするばかりだった。
山尾氏はメディアで「剝き出しの好奇心には屈しない」などと語り、真相を有耶無耶にしょうとし続けた。だが当時の正直な気持ちを言わせてもらえば、取材班の誰もが山尾氏に対して好奇心など持っていなかった。都内ホテルでの一部始終。その後も寸暇を惜しんで逢瀬を重ねる姿を見て「この人は幹事長になろうという大事な時期に、いったい何をしているんだ?」という呆れた気持ちしかなかった。前述のように自らのスキャンダルについて詭弁を使い言い逃れを続ける姿も、とても興味を持てる類のものではなかった。そしてAさんの取材を通じて、深刻な状況に追い込まれている女性がいたことを改めて知ったのである。
週刊誌の不倫記事は、常に賛否の声があがる。「個人的な問題だから放っておけよ」という意見を聞くこともある。だが、当事者間では解決できない問題、個人では力が及ばない問題というものがある。不倫問題にも「深刻な被害者」が存在する。だからこそ報道を必要とするときもあるのだ。
山尾氏のスキャンダルにより民進党は崩壊していった。その後、山尾氏は立憲民主党に入り、党をコケにする形で離党。そして国民民主党に入り、いまは広報局長という職に収まり「安全保障問題」や「対中国問題」で積極的に発言をするようになった。リベラル政治家だったはずだが、最近では保守的な発言を多くするようになっている。自分は政治家を続けようという強い意思すら感じる自己顕示欲と政界遊泳術である。
国会で舌鋒鋭く質問をする姿も相変わらずである。与党に厳しく説明責任を求めていくパフォーマンスを評価する声もあるが、自らのスキャンダルについては説明責任を果たしたことがない。
一方で倉持弁護士はどうか。最近ではグローバルダイニングの代理人として、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく時短営業命令は違法だと東京都を訴えた記者会見に登場したことが話題になった。倉持氏は「コロナ対策で社会的弱者になってしまった人もいる。今回の訴訟を“声なき声”を集約するプラットフォームにしたい」などと語った。
だが社会部記者は「記者会見を見る限り、倉持弁護士は自分が有名になるためのパフォーマンスをしているようにも見えました」と語る。綺麗ごとのように彼の言葉が聞こえてしまうのは、元妻Aさんへの無情な仕打ちの数々を記者たちが覚えているからだ。
“黙秘”を続けた山尾氏と倉持氏
先の4月28日発売の「週刊文春」記事は読むのも辛いものだった。亡くなったという事実を受け止めることができずにいる。3年前、私はAさんが苦しい状況のなかインタビューに応じてくれたことを、昨日のように思い出す。長きに渡る私の週刊誌経験のなかでも、これほど残酷で酷い話は少ない。「せめて愛する息子だけでも自分の手許に帰して欲しい」と切実に語ったAさん言葉を忘れることができない。
昨年夏ごろ、関係者と親権の状況について連絡を取り合った。当時、取材を担当した記者として何か協力できることがあるのであればはしたい、と考えていた。何らかの対策を打つと聞いて、状況が改善されることへの期待を持っていた。それから半年、最悪の展開になってしまうとは……。
私は不倫のすべてが悪いと言うつもりはない。人間を好きになることを止められないことはあるだろう。一方で、どんな事情があろうとも自らの“欲望”のために誰かを深く傷つけたままにしてよいわけがない。もし少しでも罪悪感があったとするならば、しかるべき謝罪や歩み寄りがあっても良かったはずだ。
だが、山尾氏も倉持氏も自分のスキャンダルについては常に自己正当化を行い、メディアに対しては“黙秘”を続けた。Aさんに対しての無情な対応も変わらず、彼女の辛い状況が変わることはなかったと聞く。
「他人を不幸に陥れ平然としている人間が、“誰かを幸せにする”ような政治や弁護活動ができるのか?」と私は問いたい。こんなことを書かずにはいられなくなってしまった状況を本当に悲しく思う。
いまは、ただ、ただAさんのご冥福をお祈りしたい。
(文=赤石晋一郎/ジャーナリスト)