小室圭さんからイジメ受け「ひきこもり」に、文春報道…借金返済拒否と共通の性格傾向が原因か
秋篠宮家の長女、眞子さまとの結婚が延期になっている小室圭さんの「イジメで私は高校中退。ひきこもりになった」と、中学・高校時代の同級生の女性が12月24日発売の「週刊文春」(文藝春秋)で告白している。
記事によれば、小室さんが通っていたカナディアン・インターナショナルスクールで、この女性は中学1年のときから約4年間にわたって小室さんを含む男子生徒5人の仲良しグループから陰湿なイジメを受けたという。すれ違いざまに「あ、ブタが通った。ブーブー!」と言われたり、「デブ」「ブタ」「ブス」などと書かれた紙を授業中に回されたり、その紙を机のうえに置かれたりしたらしい。こうしたイジメに耐えきれなくなって、この女性は高校1年生の終わりに退学に追い込まれたようなので、余程つらかったのだろう。
小室さんからイジメを受けたという告発は今回が初めてではない。昨年5月にもやはり「文春」で、国立音楽大学附属小学校時代に小室さんからイジメを受けたと主張する男性が次のように告白している。
「僕も圭くんもガキ大将も、同じサッカー部でした。サッカーの練習をするといって、休み時間にキーパーとして僕を立たせ、至近距離から一斉にボールを蹴り込まれるということもあった。彼らとサッカーするのが嫌で、別のクラスメイトと休み時間に校庭で練習していると、教室の窓から大声で『学校来るな!』とか『キモい!』とか大声で叫ばれました。僕は学校を休みがちになりました」
小室さんがイジメを繰り返した理由
一連の報道が事実とすれば、いずれの被害者も小室さんから心理的・身体的な攻撃を受け、強い精神的苦痛を感じていたことになる。これは、文部科学省の定義に従えばイジメにほかならない。小室さんはイジメを繰り返しているように見える。一体なぜだろうか?
その理由として次の3つが考えられる。
1) うっぷん晴らし
2) 自己防衛
3) 「ゲミュートローゼ(情性欠如者)」
まず、小学校時代のイジメが父親の死後始まったことから、うっぷん晴らしの可能性が高い。小室さんは父親の自殺によって喪失感を味わっただろうし、一家の大黒柱を失ったことによる母親の不安や家庭内の混乱も肌身で感じただろう。それによるストレスや欲求不満をうまく処理できないと、自分より弱い者を攻撃し、自分のほうが優位に立っていると感じることによって発散しようとする。
それに拍車をかけたと考えられるのが、小室さんが母親の期待を一身に受けており、母親の前では“いい子”、教師の前では“優等生”でいなければならなかったことである。その重圧によるストレスは相当なものだったはずで、弱い者イジメによって発散しようとした可能性は十分考えられる。
また、自分がイジメの対象にならないようにするために、自分より弱い立場の生徒をターゲットにして攻撃した、自己防衛の可能性もある。小室さんは、父親の死後、母親(小室佳代さん)がパート勤務で家計を支えていた母子家庭で育っており、裕福な家庭の生徒が多い私立の学校では、いつ自分がイジメのターゲットにされるかと不安でたまらなかったのではないか。そういう不安を払拭するのに最善の方法は、自分より弱い立場の生徒を見つけて攻撃し、イジメの加害者になることだろう。
小室さんの加害者グループ内での立ち位置を見ても、自己防衛のためにイジメを繰り返した可能性が高いと思う。小学校時代はガキ大将と一緒にイジメを繰り返し、中学・高校時代はクラスのボス的存在だった男子生徒の補佐役としていつも傍らにいたとも報じられている(「文春」より)。こういうポジションを取ったことからも、自分が強い者からイジメを受けないようにするための彼なりの保身術だったことがうかがえる。つまり、自分を守るために他人を攻撃せずにはいられないのである。
「ゲミュートローゼ(情性欠如者)」の可能性
さらに、小室さんが「ゲミュートローゼ」である可能性も否定できない。「ゲミュート」とは、思いやり、同情、良心などを意味するドイツ語である。このような高等感情を持たない人を、ドイツの精神科医、クルト・シュナイダーは「ゲミュートローゼ」と名づけたわけで、「情性欠如者」と訳される。
「情性欠如者」は、他人への攻撃を平気で繰り返す。しかも、いくら他人を傷つけても、罪悪感を覚えず、反省も後悔もしない。裏返せば、反省も後悔もしないからこそ他人への攻撃を繰り返すのだともいえるわけで、イジメを繰り返す人には「情性欠如者」が少なくない。
約400万円を用立ててくれた母親の元婚約者が経済的に困窮していることを知っても、真摯に向き合おうとせず、「借金」ではなく「贈与」だと主張し続けた冷淡ともいえる姿勢からも、私は「ゲミュートローゼ」の印象を受ける。
厄介なことに、ここで挙げた3つについて小室さんは自覚していないように見える。こうした無自覚さは鈍感とかズレているとかいう印象を与えやすい。それが、さらに世間の怒りと反感を買うことになるのだが、無自覚の人に何を言っても無駄だとも思うのである。
(文=片田珠美/精神科医)