【確認中】『晴天を衝け』渋沢栄一、徳川慶喜、徳川斉昭の「子だくさん伝説」…子女10人超の艶福家の画像1
今年のNHK大河ドラマの主人公、渋沢栄一は実は艶福家で子だくさん。公式にカウントされているお子さんのほかにもまだまだいらっしゃるようで……。(画像はWikipediaより)

渋沢栄一の“公式の子”は六男四女、計10人…“非公式”の子のなかには第一銀行の頭取も

「女遊びは芸の肥やし」という言葉は死後になりつつある。女性関係のスキャンダルが報じられると、あっという間にテレビ番組のレギュラーを降板、謹慎。ヘタをするとそのまま引退かという勢いである。

 そうした世相を気にしてか、NHK大河ドラマの主人公にも愛妻家で、女性関係がハデでない人物が好まれる。『軍師官兵衛』の黒田官兵衛しかり、『麒麟がくる』の明智光秀しかりである。

 ところが、今年の『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一は艶福家である。正妻以外にもたくさんの子どもがいらっしゃる。そういう話がネットでもひところずいぶん話題となった。ただし、ネットの記事はいずれも噂の域を出ず、渋沢栄一に実際には何人の子どもがいたのか列挙したものを寡聞にして知らない。そこで、確認できるところで、何人いるのか、以下に挙げていこう。

『青天を衝け』渋沢栄一、徳川慶喜、徳川斉昭の「子だくさん伝説」…子女10人超の艶福家の画像1
正妻(黄色)の子以外は”庶子”と記した。年齢は満年齢表示。生没年の空欄は不明を示す。

 表に見るように、わかっているだけで18人の子どもがいた。

 渋沢栄一(演:吉沢亮)は安政5(1858)年に18歳で、従姉妹の千代(演:橋本愛)と結婚。二男三女をもうけるのだが、千代は明治15(1882)年に39歳の若さで死去してしまう。そこで、栄一は翌明治16年に伊藤兼子(かねこ)28歳と再婚。五男一女をもうけた。計六男四女が渋沢栄一の公式のお子さんである(栄一の曾孫の方にお目にかかったことがあるのだが、それ以外の子・孫は親族会のメンバーではないとのことである)。兼子の第一子・敬三郎はなぜか公式のお子さんにカウントされていない。あくまで想像の域を出ないが、非公式にお付き合いしていた時期があったのではないか。

 そして、それ以外に少なくとも7人のお子さんがいらっしゃる。もっとも、認知されていたのは16人目の川崎まつまでで、長谷川重三郎は認知されておらず、同様に認知されていない子どもが何人かいたはずである。重三郎という名前は13番目の子というシャレなのだが、男女あわせると17番目なので、十三男という意味なら、あと5人の男子がいたことになる。なお、弟の藤四郎(とうしろう)は14番目というシャレだと思われる。

 この長谷川重三郎は、栄一がつくった第一銀行(現・みずほ銀行)でエリートコースを進み、頭取になったのだが、あたかも自分がオーナーとばかりに、単独で三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)と合併を決め、それが行内で猛反発を買って、結局、合併撤回、自らは退陣を余儀なくされた(ちなみに重三郎の子は三菱銀行に入って、その役員となった)。

 ネットで批判に晒されているのは、栄一がお妾サンを正妻と同じ家に住まわせている、いわゆる妻妾同衾(さいしょうどうきん)だったことだ。今では信じられないと思うのだが、武家時代では決して珍しいことではなかった。なぜかといえば、江戸時代の商家の事例にそのヒントがある。

 商家では別宅にお妾サンを囲って、そこで子どもを育てることが少なくなかった。しかし、そこには落とし穴があった。本妻には女子しかおらず、妾宅に男子がいる。そういった場合、妾宅の男子を跡取りにすればよいのだが、従業員が反対するのだ。なぜかといえば、江戸時代の商家では従業員の多くが住み込みなので、子どもの頃から接している本妻の女の子に愛着が沸く。その子をさしおいて、ヨソから連れてきた子を跡取りにするのは納得がいかないというわけだ。武家社会では跡取り問題は非常に重要なファクターである。なので、妻妾同衾のほうが望ましい。栄一には正妻に男子がいたのでその必要性はなかったのだが、当時の風習でそうしたのだろう。

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