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経団連は十倉・新会長で地盤沈下加速が必至だ…安倍前首相が嫌った「あの人」の秘蔵っ子

文=有森隆/ジャーナリスト
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経団連会館(「Wikipedia」より)

「財界総理」と呼ばれる経団連の会長が任期の途中で交代する。リンパ腫の治療のため入院中の中西宏明・日立製作所会長(75)が、6月1日付で退き、後任には住友化学の十倉雅和会長(70)が就く。

 中西氏は2018年5月に経団連の会長に就任した。しかし、19年6月、リンパ腫と診断されたと公表。同年9月に復帰したが、20年7月、精密検査のため再入院し、再発がわかった。抗がん剤治療を続けながら、テレビ会議システムなどを使って職務を続けてきた。容体が悪化し、4月13日、「健康上の理由により(6月1日の)定時総会をもって退任したい」と電話で久保田政一事務総長に伝えた。経団連会長が任期の途中で病気で退陣するのは初めての事態である。

 中西氏の会長としての最後の仕事が、新任の副会長の選任だった。ディー・エヌ・エー(DeNA)の南場智子会長、日立製作所の東原敏昭社長、日本製鉄の橋本英二社長、三菱電機の柵山正樹会長、パナソニックの津賀一宏社長、住友化学の岩田圭一社長、経団連の久保田事務総長の7人が6月1日付で副会長になる。副会長が2人増えるという“インフレ人事”だ。

“中西人事”の目玉はDeNAの南場氏の副会長就任だ。女性の副会長起用は初めて。とはいっても、財界・経済界の首脳たちは日立の東原社長が副会長になることに強い関心を示した。中西氏は、いうまでもなく日立の会長。東原氏が副会長になれば、同一企業から会長・副会長が出るという珍しいケースになる。「同じ企業から同じ時期に会長、副会長は出さない」が“不文律”になっているはずだからである。

 1980年から86年まで6年間にわたり新日本製鐵の稲山嘉寛氏が第5代会長で斎藤英四郎氏が副会長だった。斎藤氏はそのまま第6代経団連会長になったが、日立から会長・副会長が同時に出るのは、この時以来のことになる。「病気の会長続投といい、日立から会長・副会長が出ることといい、日立による新しい経団連の支配」(外資系証券会社のアナリスト)との批判が各方面から出た。

 2002年に旧経団連と日本経営者団体連盟(日経連)が統合して現在の経団連が発足して以来、任期の途中で会長が辞任するのは初めて。1990年に斎藤英四郎・第6代会長が「若返り」を理由に任期半ばで辞任しているが、病気で辞めるのは長い経団連の歴史の中でも初である。斎藤氏の場合は、マージャン仲間を複数、副会長に起用した“お友達内閣”が運営に行き詰まったために引きずり降ろされたと伝えられている。いずれにせよ、中西氏の病気の辞任は希有な出来事なのである。

中西氏はどうして区切りで辞めなかったのか

 副会長を選任後、「中西氏はリンパ腫の治療に専念するため、会長を任期途中で辞任する」(経団連の元副会長)との見方が急浮上した。経団連の会長は現職の副会長や、その経験者から選ぶのが慣例だ。その場合の最有力候補は、6月で経団連副会長の任期を了える日本製鉄の進藤孝生会長だった。この見方は衆目の一致するところだ。大リストラの最中とはいえ、日本製鉄は新日鐵の時代から「経団連御三家」の筆頭格だった。

 確かに日本商工会議所の三村明夫会頭は日本製鉄の名誉会長である。経済三団体のトップを同一企業が占めないという暗黙のルールが存在することは皆、知っている。

「緊急時だし、問題にならない。かつて、新日鐵が二団体のトップを同時期にやっていたことがある。永野重雄氏(日本商工会議所会頭、1959~1984年)と稲山嘉寛氏(経団連会長、1980~1986年)である」(経団連の副会長経験者で財界の長老)

 ところが、中西氏が後継指名したのは住友化学の十倉会長。サプライズ人事である。5月10日の十倉・新会長の会見に同席した久保田事務総長が「(住友化学が)気候変動でいろいろ取り組みをしているので推薦したいということだった」と説明した。久保田事務総長が中西氏の意向を伝えるメッセンジャーの役割を果たした。

「日本製鉄の進藤会長へのバトンタッチだけは嫌だった、ということなのだろう。中西さんらしいね」(前出の財界長老)との冷ややかな受け止め方と大きな失望が、あっという間に経済・産業界に溢れ出した。

「中西さんの任期(残り1年)を引き継ぐだけでも問題ありなのに、4年の任期が新たに設定されたというのだから驚きだ」(新興企業の若手経営者)。

「中西氏は経団連会長に就任する前の14年から4年間、十倉氏も翌15年から4年間、それぞれ経団連の副会長をやっている。中西氏は副会長の1年先輩ということ。付き合いが長く、気心が知れているということだ。何も言わなくても中西路線は継承される」(経団連関係者)

 どこも書かないので、あえて正論を書く。病気で途中退任する中西氏の推薦があるとはいえ、正副会長会議できちんと“ポスト中西”を議論して決めたのだろうか。日立から会長、副会長が同時に出るということの是非についても、きちんと議論された形跡がない。ましてやコロナ禍の経済のカジ取りを担う重責を負う経団連会長を誰にするかという、経団連の将来を左右するような、非常に重要な問題である。きちんと論議しなかったらおかしい。

 そして、今度は住友化学から経団連会長と副会長が出ることになった。こんなイレギュラーなことが何度も続けば組織としてタガが緩まないわけがない。経団連の規律はどうなっているのだ。

安倍前首相が「あの人」と嫌った故・米倉弘昌氏の秘蔵っ子

 住友化学から経団連会長が出るのは、故・米倉弘昌氏(10年5月~14年6月)に続いて2人目だ。会長に就く十倉雅和氏とは、どんな人物なのか。

 1950年7月、兵庫県生まれ。東京大学経済学部を卒業し、1974年に住友化学工業(現・住友化学)に入社。住友化学元社長の米倉氏の秘蔵っ子として経営企画などの要職を歴任。03年に三井化学との経営統合を目指した際には交渉の最前線に立った。統合は結局、失敗。白紙撤回されたが、社長だった米倉氏は統合準備室部長の十倉氏を執行役員に昇進させた。その後、米倉氏の側近として出世階段を駆け上がり、11年から8年間社長を務め、19年から会長である。米倉氏が経団連会長を退いたのに伴い、15年6月から4年間、経団連副会長を務め、19年5月から審議員会副議長に横滑りしていた。

 米倉氏は前首相の安倍晋三氏の不興を買った経団連会長として有名だ。安倍氏がかつて、内輪で口にしたジョークがある。「この世で嫌いなものは3つ。朝日新聞とNHKとあの人」。「あの人」とは前経団連会長の米倉弘昌氏のことだ。

 2012年秋、安倍氏が自民党総裁選で“予想外”の勝利を収め、「総理帰り咲き確実」の立場で、経団連を訪ねた際、ふんぞり返った米倉氏に「“無鉄砲”なアベノミクス」と経済政策を批判され、安倍氏は机を叩いて激高したという。以来、安倍氏は「あの人」と名前すら口にせず、米倉氏を経団連会長の指定席である経済財政諮問会議の民間議員から外し、彼を指名した前任会長(06~10年)の御手洗冨士夫・キヤノン会長まで一時、冷遇した。

 米倉氏の後任の経団連会長(14~18年)になった榊原定征氏(東レ会長)は安倍政権との距離を縮めるのに四苦八苦。近くなりすぎて「安倍さんのポチ」(当時の経団連の幹部)と揶揄された。政権に近づきすぎた経団連を中西氏は軌道修正しようとしたが、結局、病気で情報発信力を回復することはできなかった。アイデンティティは低下の一途だ。

十倉氏は任期を全(まっと)うできるのか

 十倉氏は中西氏の任期(1年)を引き継ぐのではなく、新たに2期4年やる。十倉氏は「榊原定征前会長、中西会長が築いてきた政権との良好の関係を維持していきたい」と語った。発言力が低下し、“軽団連”と酷評されることもある経団連の会長に軽量級の十倉氏が就任する。「経団連会長の器にあらず」「なんで十倉さんなの?」。ブーイングの声が鳴り響く。

 中西路線の継承を前面に出し、「自由民主義、法の支配、人権を普遍的価値として持つスタンスは微動だにしない」と十倉氏は言い切ったが、「安定した日中関係の構築は重要」と付言した。米中経済戦争が激化する中で正しいカジ取りを期待していいのだろうか。「闘病しながらいろいろ発信した中西会長の不屈の精神に敬意を表したい」と前任者を称え、「(4月15日に会長就任の)打診を受けたが、『義を貫きたい』との信念でお受けした」と十倉氏は会見で語った。新・経団連会長の「義」とは何なのであろうか。
(文=有森隆/ジャーナリスト)

有森隆/ジャーナリスト

有森隆/ジャーナリスト

早稲田大学文学部卒。30年間全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書は「企業舎弟闇の抗争」(講談社+α文庫)、「ネットバブル」「日本企業モラルハザード史」(以上、文春新書)、「住友銀行暗黒史」「日産独裁経営と権力抗争の末路」(以上、さくら舎)、「プロ経営者の時代」(千倉書房)など多数。

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