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東京五輪、57年越しの聖火ランナーたちの悲願実る…160人の思い、自治体を動かす

写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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57年間の無念を晴らした聖火リレーのメンバー

 1964年10月に開催された東京五輪で、約10万人が約6800キロをつないだ聖火の最終ランナーは、広島県出身の坂井義則さん(故人)だった。「敗戦から立ち直った日本」を原爆の落ちた広島県出身の彼に象徴させていた。10月10日の開会式、国立競技場の階段を駆け上がった坂井さんが聖火台にトーチを傾けて着火した瞬間を覚えている年配者は多いはず。だが、この瞬間を複雑な思いで見つめていた人たちがいた。

 上塚勝さん(75)は「坂井さんが国立競技場の階段を上る姿を鮮明に覚えていますよ。高度経済成長で、新幹線が走るなど日本に活気があった時代ですね。でもちょっと複雑な気持ちでした」と振り返る。

 実は57年前は甲南高校(兵庫県芦屋市)の3年生、バスケットボール部で活躍していた上勝さんは、晴れの聖火ランナーに選ばれていたのだ。聖火リレーは兵庫県庁から大阪府庁までの約40キロが29区間に分けられ、芦屋市内を走るメンバーのひとりだった。走るのは9月25日。ところが、あまりにも運が悪かった。前日に台風20号が西日本に迫っていた。「25日も近畿地方が直撃される」との予報で、阪神間の聖火リレーの中止が決まってしまう。

「集団の先頭でトーチを持って走るはずでした。練習を繰り返して本番当日を心待ちにしていました。しかし前の晩に、台風で聖火リレーは中止になった、と電話連絡が入ったのです」(上塚さん)

 ところが皮肉にも台風20号は予想外に早く去っていった。聖火リレーが始まるはずの午前9時頃には阪神間は「台風一過」の快晴になった。「これなら走れるのとちゃうか」と期待した。しかし中止決定は変わらず、聖火は自動車で大阪府庁に運ばれてしまう。「悔しかったですね。呆然としていました」

 同じく臍を噛んだのが、大阪府池田市に住む森純也さん(74)。当時、甲陽学院高校(西宮市)の3年生、陸上部の副主将で西宮市内を走る予定だった。「日の丸を背負って走る誇らしさに胸を弾ませ1カ月以上前から練習を重ねていました。秋晴れなのにどうして走らせてくれないのかと諦めきれず予定コースにやってきて、聖火が車で運ばれていく様子を空しく見つめていた」と振り返る。

 十代で経験した「無念」から半世紀余、「幻の聖火ランナー」たちは華やかなオリンピックのニュースに触れるたびに心の片隅で何か引っかかるものを感じてきた。長く忘れかけていた上塚さんも阪神・淡路大震災で家を建て替えた時、しまってあったトーチが出てきて、再び聖火に思いを寄せるようになったという。

つながれた「途切れたタスキ」

 転機が2013年9月の再度の東京開催決定だった。森さんには同じく「幻のランナー」となった甲陽学院高校同窓生の近藤宏さん(74)らから「何かやろうや」と誘いがかかった。協力して新聞を調べ、他校の同窓会に頼んで当時のランナーを探し出した。当時の約670人の参加予定者のうち約160人と連絡がついた。18年には「56年目のファーストランの会」を発足させ近藤さんが会長、上塚さんが副会長となった。

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陸上の朝原宣治さんと記念撮影

 メンバーは「1964年の聖火リレーは、まだ終わっていない。体が動く元気なうちに今度こそ、聖火リレーを走りたい」と、阪神間の自治体に懸命に申し入れた結果、各都道府県で1組だけ選ばれる「グループランナー」として会の10人が県から認可された。「代表で誰かひとりでも走れればと思っていた」と森さんらは喜んだ。そして合同ジョギングなどを重ねてきた。

 あれから57年、「途切れたタスキ」はようやくつながれたのだ。聖火リレーは兵庫県の2日目が5月24日、丹波篠山市の篠山城跡で開かれた。フィギュアスケートの紀平梨花、元テニス選手の沢松奈生子、陸上の朝原宣治ら県ゆかりの著名人らに負けず、この日に注目された高齢者軍団が「56年目のファーストランの会」の10人だった。残念ながらコロナ対策で公道走行は中止されたものの、開会前から雨模様だったが彼らが走るときには雨は上がっていた。「お天道さん」も長年、あの時の台風の気まぐれを反省していてくれたのかもしれない。

 会の10人は同城跡で与えられた60メートルの間を全員でゆっくり走り、その間、全員がトーチを交替に持った。森さんは「聖火が着いた瞬間、心が震えた。終わったときは涙が出かけた」と感無量の様子。近藤会長は「これで1964年からのタスキがつながった。選んでくださった井戸(敏三)知事はじめ、皆さんのおかげです。これで若い世代にバトンタッチできましたよ」と喜んだ。

 幻のランナーには女性もいた。57年前に選ばれていた中西鈴子さん(71)は当時、西宮市立大社中学3年の強豪卓球の部員で市内大会でも優勝していた。「あれ以来、選ばれていたことは家族らにも話したことはなかったけど最近、話題になったので初めて息子らに話しました。遠くなので息子は見に来られなかったけどなんとか終わりました」とほっとした様子で話した。

 積年の無念を晴らした10人は満足そうだった。残る課題はコロナ禍、芦屋市の老舗ホテル竹園芦屋で開く予定の打ち上げ会がいつできるのかということだそうだ。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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