
現在、環境や半導体生産など世界経済の先端分野で、日本企業が生産する高機能、高純度の素材への需要が一段と高まっている。その基礎になっているのは、日本企業が磨いてきた“モノづくりの力”の強さだ。その一つの例として、繊維分野における帝人のケミカルリサイクル事業の展開がある。
同社は世界市場のニーズに呼応して、ケミカルリサイクル分野での取り組みを強化している。その目的は、世界的に問題が深刻化しているマイクロプラスチック汚染対策などの需要を取り込むことにある。そのために、帝人は異業種との連携を進め、自社のモノづくりの力がより良く発揮される体制を目指している。
見方を変えれば、帝人は、自社の祖業である繊維分野のモノづくりの力にさらなる磨きをかけることによって、長期の視点での成長を実現したい。世界経済全体で環境対策への取り組みが進む中、同社のケミカルリサイクル事業がどのように競争力を発揮するか、より多くの注目が集まるだろう。
日本繊維・素材産業の競争力を支える帝人
帝人は、東レなどと並び、繊維分野における日本のモノづくりの強さを象徴する企業だ。その強さは、手触り、着心地、耐久性、軽量化、微細さ、環境負荷の軽減など、人々、企業、社会の多様なニーズを満たす繊維製品を生み出すことにある。
それは、日本繊維産業だけでなく、第2次世界大戦後の日本経済の復興などに大きな影響を与えた。第2次世界大戦後の日本経済の復興にとって、繊維産業が果たした役割は大きかった。なぜなら、当時の世界経済、特にアジア経済では、工業化の初期段階が進んだ繊維産業を有する国は、日本が唯一の状況だったからだ。1950年頃、日本の輸出の約半分が繊維製品だった。その後、韓国、中国、台湾などの工業化が進展し、繊維製品の生産は日本からアジア新興国地域にシフトした。
そうした変化に伴って、日本では繊維製品の輸出によって得られた資源が重工業分野に再配分された。経済環境が変化するなかで、もともとレーヨンなどの生産を行っていた帝人は、代表的な化学繊維であるポリエステルの生産技術を海外から導入し、成長を実現した。さらに、高度経済成長期に帝人は積極的に海外進出を強化して、化学繊維メーカーとしてのさらなる成長を追求した。それは、第2次世界大戦後の日本経済が、軽工業から徐々に石油化学など重工業へとシフトしたことと符合する。
しかし、1973年の第1次石油ショックの発生によって事業拡大を重視した事業戦略は行き詰まり、同社の成長のペースは鈍化した。その後、帝人は、化学繊維の生産で培った技術を生かして航空機向けの炭素繊維など産業用素材や医療分野での事業運営に取り組み、今日に至る。