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佐藤信之「交通、再考」

日本初の鉄道施設、品川駅構内で発掘…149年前の公共鉄道運行開始の歴史的遺産

文=佐藤信之/交通評論家、亜細亜大学講師
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品川駅(「Wikipedia」より)

 今から2年あまり前、品川駅構内と品川・田町間で、日本で初めての鉄道の施設が発掘された。開業当時の資料は比較的多く、遺構が残っていることはわかっていたものの、営業中の線路が載っていたために確認できなかったのである。150年前の錦絵で描かれた情景が、令和の時代に、目の当たりにできるという幸運に感謝したい。

 私は高校生の時に、鉄道百年にあたり国鉄で百年史を編纂していた修史課に足しげく通って開架式の書棚に置かれた古い文書を書き写した。父親が東京鉄道管理局で、若くして死んだのだが、二階級特進で本社の辞令を受けた。その同僚達が修史課で働いていた。著書があり画家の内田克己さん(同姓同名が多い)も、その一人であった。

 JR東日本は上野東京ラインを建設して、東海道線の電車を東京駅をスルーさせることで都心の車両基地の縮小が可能となり、品川と田町の間の広大な車両基地を東側の半分程度の面積に縮小した。それに伴い、明治以来の古い線路敷を走っていた山手・京浜東北線の線路を東側に大きく移設し、そこに高輪ゲートウェイ駅を新設した。

 この大掛かりの線路移設工事の中で、昔の遺構が発掘されたのである。令和元年4月には、品川駅改良工事において石積みの一部が見つかり、令和元年11月に、高輪地区の線路の付け替え工事に伴い。明治5年に開業した新橋・横浜間の当時の築堤が確認されたのである。

 田町・品川間では、海の中に築堤を設けて線路が敷設されたが、この工事に取り掛かったのが、明治4年6月であった。現在の暦では7月の半ばということになる。今からちょうど150年前のことであった。明治5年5月7日に品川~横浜間を仮開業したが、今の暦に換算すると6月12日である。つまり今からちょうど149年前、日本初の公共鉄道が運行を開始したのである。

築堤の建設

 もともと新橋から品川までは陸地を走る予定であったが、明治3年に測量が始まると、政府の内部から反対するものが現れた。予定区間に所在していた兵部省の用地の引き渡しを要求したが、強硬に反対され、測量者が逮捕されるという事件も発生した。西郷隆盛も、鉄道建設は外国の興隆ぶりを羨ましがっているもので不要不急とし、むしろ兵力の増強に努めるべきと主張していた。

 また、一般の庶民からも反対された。渋沢栄一の懐旧談によると、「当時政府部門にも反対が有ったが、殊に沿線住民の反対は頗る猛烈で、一機発動の様な騒ぎまで起した。無知な農家や旅籠屋の主人、馬子、車曳、駕籠屋の連中など、皆銘々の死活問題であると云うので反対運動に狂奔し、無法にも試験的に架設された京浜間の電線を切断し、電柱を倒し、工事妨の直接行動に出で、或は監督役人を襲撃した」(『日本鉄道請負業史』明治編)という。

 その結果、新橋~品川間は東京湾の海上に築堤を建設することになった。埋め立ての土砂は、御殿山と八ツ山を切り崩して、最初は荷車、牛馬車を使い、のちには機関車が到着してから仮線を設けて土運列車を運転した。

日本初の公共鉄道の開業

 明治4年8月新橋・横浜間のうち、横浜側の線路の敷設が一部完成。車両も一部が組み立てを完了して、試運転を開始した。これに先立って工部省は、神奈川県と品川県に対して一般人の線路内立ち入り禁止の禁止について文書を発出した。

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