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江川紹子の「事件ウオッチ」第186回

【江川紹子の菅首相総括】父権主義的で対話軽視、根拠なき楽観論であっけなく崩壊した虚像

文=江川紹子/ジャーナリスト
【江川紹子の菅首相総括】父権主義的で対話軽視、根拠なき楽観論であっけなく崩壊した虚像の画像1
昨年9月、自民党総裁に就任した直後の菅首相。これからわずか1年あまりの政権運営となった(写真:Getty Images)

 重点政策を選択する目の付けどころはよく、政策を推し進める力に優れていたが、パターナルな政治姿勢で説明や対話を嫌い、国民とのコミュニケーションを軽んじ、「最悪の事態」を想定しない根拠なき楽観論が目立った――自民党総裁選に立候補せず、今月末で政権の座から降りることが決まった菅義偉首相について、私なりの評価をまとめるとこうなる。

学術会議任命拒否、五輪開催で顕になった「説明しない」姿勢

 その推進力に加え、菅首相自身が長く前政権の中枢にいて、その閣僚や課題を引き継いだこともあり、1年という短期のわりにさまざまな結果を残したのは事実だ。

 たとえば、「環境=グリーン」を成長戦略の柱に位置づけ、「2050年カーボンニュートラル」を宣言。温室効果ガス排出量を、2030年には2013年比で46%削減する目標を打ち立てた。コロナ対策では、ワクチン接種に力を入れ、専任大臣を置き、省庁の枠を超えて加速化を促した。その結果、第5波で感染者が激増し、医療逼迫による犠牲者は出ているものの、圧倒的にリスクが高い高齢者の死亡は少なく押さえ込めている。さらに、この国のデジタル化の遅れに対応するため、とにもかくにも短期間でデジタル庁発足までこぎ着けた。

 また、後期高齢者の医療費負担を1割から2割に引き上げたり、東京電力福島第一原発でたまり続ける「処理水」の海洋放出など、不人気な施策も先送りせずに決断した。看板政策のひとつだった携帯電話料金の引き下げも実現した。

 一方で、肝心なことで説明や対話をせず、他の選択肢や批判は否定したり見下したりし、権力を首相官邸に集中させて、「この道しかない」とズンズンと推し進めていく手法も、菅首相は前任者から引き継いだ。「よかれ」と思ったことは、問答無用で人々に結論を押しつける、パターナルな政治だ。そのうえコロナ対策では、最悪の事態を想定せず、専門知より自身の直感に頼る楽観論が目立った。

「説明しない」姿勢は、首相に就任してまもない時期に、日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否した問題で鮮明になった。菅首相は、同会議が提出した105人の推薦名簿を見ておらず、任命拒否した6人のうち5人については、名前すらも「承知していなかった」という。にもかかわらず、任命を拒否したのはなぜなのか、その理由を国会で何度問われても、拒否された当事者からの求めがあっても、一切説明しなかった。

 オリンピックの開催を巡っても同様の対応だった。多くの国民が新型コロナウイルスの感染拡大の中での開催に懸念を示したり反対したりするなかでも、「安心安全」「安全安心」と唱えるばかり。国会や記者会見で開催の判断基準などを繰り返し問われても、ついぞ答えようとしなかった。

 コロナ対策では、ワクチンさえ行き渡ればすべてが解決する、といわんばかりの姿勢が目についた。

 残念ながら、新型コロナ感染症はそれほどシンプルな現象ではない。政府には、感染症に関する最新の知見はもちろん、経済や教育、文化などさまざまな分野の専門知を取り入れながら、柔軟な対応が求められる。当然、対話や議論が重要だ。

 さらにコロナ禍は、日本で暮らす人すべての健康や命に関わる問題であり、状況を改善するにも人々の協力が不可欠だ。政府にとっては、問題解決の当事者でもある人々とのコミュニケーションは、とりわけ重要といえよう。

 そうした「コロナの時代」には、十分な説明や対話や議論をせず、「この道しかない」式の安倍晋三・菅流パターナリズム政治では十分に対応できない、ということではないか。

「守り」に徹し、あらかじめ準備した枠内から一歩も出ない「官僚答弁」に終始した菅首相

 それでも、菅首相は多くの記者会見を開いた。昨年9月16日の就任記者会見から、直近の今年9月9日の緊急事態宣言延長に伴う記者会見まで、コロナに関する記者会見数は15回以上に及ぶ。歴代首相のなかで、おそらく1年間にこれほど記者会見を開いた人はいないだろう。

 にもかかわらず、人々とのコミュニケーションの機会として記者会見を、菅首相は生かすことがまったくできなかった。

 菅氏にとって、もともと記者会見は慣れた仕事のはずだ。なにしろ、7年8カ月にわたる官房長官時代には、毎日朝夕の記者会見をこなしていた。政権批判には「まったく問題ない」「そのような指摘は当たらない」といった紋切り型で対応しながら、安倍政権を守ってきた同氏は、「鉄壁のガースー」などと呼ばれた。

 ただ、官房長官と首相では、記者会見の性格や注目度が異なる。官房長官会見は、記者が政府の公式見解を聞く場であり、答弁内容は官僚が準備する。予定外の質問が飛んでくれば官僚からのメモが差し入れられる。官房長官は、それを頼りに、目の前の記者の対応をこなせばよい。その一部がニュース番組で伝えられたり、会見の映像が首相官邸のホームページで公開されたりはしているが、全編がテレビで生中継されることはまずなく、国民の注目度もそれほど高いとはいえない。

 首相の記者会見は、スピーチ原稿はあらかじめ準備してプロンプターで表示するので、それを読み上げればいい。記者からの質問も、あらかじめ提出させて答弁を準備しておく、という記者会見の形骸化が、安倍政権で進んだ。

 ただ、首相会見はNHKやネットメディアが生中継をしている。とりわけ新型コロナウイルスの問題が起きてからは、自分自身の生活や命の問題として、テレビの前で首相の発言を固唾をのんで待っている人も多いはずだ。だからこそ、コロナ禍の当初、質問の手が挙がっているのに30分で会見を打ち切って帰宅してしまった安倍首相に対して批判の声が上がり、改善を迫られた。事前の質問を提出しないフリーランスも質問の機会を得るようになって、想定問答にはない質問を受ける可能性も出てきた。

 そういう状況での記者会見では、首相のメッセージは目の前の記者ではなく、カメラの向こうにいる多くの人々に向かって発するべきだった。質疑応答も、会見場にはいない人たちに届くよう、自身の言葉で丁寧に答えるべきだった。何も能弁である必要はない。質問に対し、できる限り具体的に、誠実に答える姿勢を見せればよかったのだ。

 ところが、菅首相が会見の質疑に臨む姿勢は、官房長官時代とさほど変わらなかった。目の前の記者に余計な言質を与えない「守り」に徹し、あらかじめ準備した枠内から一歩も出ない「官僚答弁」に終始した。

 菅首相は、月刊誌「文藝春秋」10月号(文藝春秋社)に掲載された同誌単独インタビューのなかで、「政治家は『弁舌よりも結果だ』と。結果を残せばわかってもらえるという政治姿勢で今までずっと来たので、そういう考えが会見の姿勢に出てしまっているのかもしれません」と述べている。骨身に染みついた、このコミュニケーション軽視の姿勢について、誰も意見する者はいなかったのだろうか。

 加えて、専門家が感染拡大の広がりを抑えるためのメッセージを必死に送り続けているなかで、菅首相はしばしば、それに逆行する「根拠なき楽観論」を発信した。

 本来は感染終息後に需要喚起策として行うはずだった「GoToキャンペーン」を前倒ししてまで行い、批判を浴びても第3波のさなかまで続けた。

 ワクチン接種さえ進めば、普通の生活に戻れるかのような楽観論も盛んに振りまいた。東京都に4度目の緊急事態宣言を発出した7月8日の記者会見では、「新型コロナとの闘いにも区切りが見えてきた」と発言。第5波のまっただなか、酸素投与が必要な人まで自宅療養を余儀なくされ、自宅での死亡が相次いでいた8月25日の記者会見で、「明かりははっきりと見え始めています」と述べた。

 そして今、緊急事態宣言を延長し、国民に自粛要請をしているさなかに、早くも行動制限の緩和や社会経済活動の正常化などを打ち出した。この前のめりの姿勢に、専門家は「政府が一方的に決めず、国民的議論をしてほしい」(尾身茂・政府分科会会長)と諫めたが、菅首相は耳を貸さないようである。「ウィズコロナ時代」の社会のあり方に道筋をつけた、というレガシーを残したい、という焦りも垣間見える。

官房長官時代の「危機管理の菅」は、“虚像”だったのではないか

 国民に希望を与えることは必要だろう。特に、コロナ禍で経営状態が傷んでいる業界に対し、出口への展望を示すことは大切だと思う。

 しかし、菅首相は専門家との議論を経ることなく、自身の楽観論で突き進む。しかも、その話からは、最悪の事態に対する備えが見えてこない。

 危機管理の専門家だった故・佐々淳行氏は、危機管理の要諦を「最も悲観的に準備し、最も楽観的に対応する」と語っていた。最悪の事態を想定して準備をし、いざ危機に臨んでは、その準備に基づいて前向きに対応せよ、という基本原則だ。

 それに照らすと、菅首相が展開しているのは「悲観的な準備なき楽観論」といえよう。官房長官時代の菅氏を「危機管理の菅」などと褒めそやす向きもあったが、実は危機管理には向いていないのではないか。

 この「悲観的な準備なき楽観論」は、菅政権の寿命も縮めた、といえるだろう。

 菅政権は昨年9月の発足時、各種世論調査で7割前後の高支持率を獲得していた。与党内からは、早期に衆議院を解散して総選挙を行うべし、との声が相次いだ。

 しかし、菅首相はその選択はしなかった。同氏は9月9日の記者会見で、「仕事をするために総理大臣になったのですから、やはり解散というよりも、そっち(解散せずにひとつひとつの仕事をする)のほうを選んできた」と述べている。

 その言葉にウソはないだろう。ただそれは、コロナ禍は波が繰り返し襲来し、1年後にはさらに大きな波に襲われているという「最悪の事態」を想定していなかったからこそ、なし得た選択だったのではないか。

 内閣支持率が下がり始めた後も、ワクチン接種を加速し、オリンピックを開催すれば、国民の評価はぐんと上向き、そこで解散・総選挙をすればよい、という楽観的な想定しかなかったように見える。

 ところが、現実は楽観的な想定のようにはいかなかった。繰り返し押し寄せる波への対応に追われるうちに、政権への支持は降下し、各地での選挙に負け、与党内の若手議員からは「選挙の顔」にならないとノーを突きつけられ、党内人事を行おうとすれば、長老議員らに「恩知らず」と背を向けられた。追い込まれた末の総選挙で大敗した12年前の麻生太郎政権の轍を踏まないためには、結局退陣するしかなくなった。

 1年前に自身が菅氏を総理・総裁へと選出した責任をよそに、選挙の「顔」や「風」を求める若手議員の身勝手さや、恩着せがましい長老議員の醜いありさまをあぶり出し、有権者に貴重な情報を提供したのは、菅政権の最後の実績といえるかもしれない。

 コミュニケーション軽視と「悲観的な準備なき楽観論」を改めていれば、首相として仕事をする時間はもっと長くなっていたのではないか。次に首相となる人は、肝に銘ずべき教訓だろう。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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