日本の訪日外国人観光客は年間3000万人を突破した。政府は東京五輪が開催される2020年に年間4000万人超という目標を掲げる。政府の鼻息は荒いが、これまで順調にその数を増やし、そのたびに目標は上方修正されてきた。
訪日外国人観光客の増加は、停滞する日本経済をなんとかもたせようとする政府の思惑が強く、安倍政権の経済政策の一環でもある。それによって観光業界には景況感が漂っていたが、日韓関係・日中関係が急速に冷え込み、観光産業は大打撃を受けている。業界関係者はこう嘆く。
「2014年前後から始まった外国人観光客の増加基調は、LCC(格安航空会社)の普及による恩恵もありますが、なによりもアベノミクスによる円安誘導とビザ発給緩和の成果です。マンガやアニメ、和食といった日本の観光コンテンツが注目されたからではなく、政治主導でつくりだされた観光需要なのです。そのため、日韓・日中関係が冷え込めば当然ながら外国人観光客は減少します。特に、韓国・中国からの観光客が激減すれば観光業界全体が苦しくなるのは当然です」
安倍政権の強固な支持層は反韓・反中思想が強いといわれるが、皮肉にもインバウンド誘致政策は韓国と中国頼みになっている。
「外国人観光客が日本文化に魅了されれば、リピーターは増えるでしょうが、その多くは何度も日本に足を運ぶリピーターになるわけではありません。そのため、需要が一巡してしまえば観光客は激減することが予想されます。中国人は13億もの人口を抱えるので、観光客の需要が一巡するには時間がかかる。それまでに観光業界はひたすら稼いで、次の手を模索するべきなのです。しかし、次の手が見いだせないのも現実で、その場しのぎのために中国と韓国に頼らざるを得ないのが現状です」
しかし、前述のとおり日中関係、日韓関係の冷え込みで外国人観光客数の伸びは停滞。特に深刻な問題と受け止められているのが、年間1000万人も訪日する中国人観光客の減退傾向だ。その訪日需要がごっそりと消えれば、観光業界は大打撃を避けられず、日本経済にも大きな影響を及ぼすだろう。
市町村のインフラ整備という思わぬ恩恵
そして中国人観光客の減少に頭を抱えるのは観光業界だけではない。地方自治体関係者はこう話す。
「地方自治体は外国人観光客の増加をあてこんでホテル税を相次いで導入しています。外国人が落とすホテル税は、多言語化や観光パンフレット・看板、Wi-Fiなどの整備費用に充てられることになっています。そのため、市民などに直接的な恩恵はないという指摘もありますが、工事などを担当する地元の業者は潤い、地域経済の維持につながっています。そうした面から見れば、外国人観光客は地方都市の経済にも大きな恩恵を与えており、めぼしい産業のない地方の市町村では外国人観光客が落とす金だけではなく、市町村がインフラ整備に投じる金も頼みの綱とされているのです」
一方、中国人観光客は中国の春節(旧正月)の時期に大挙して訪れる。一気にたくさんの観光客がきても、地方都市では需要をさばけるほどの宿泊インフラがないため、取りこぼしも多い。それらをきちんと取り込むためには、インフラを整備することが第一だが、むやみにインフラを拡大することはできない。急拡大させれば、それは閑散期に重荷となってしまうからだ。
そうした課題を解決するべく、ここ数年来の観光業界では外国人観光客数を増加させることよりも、観光客数の均等化を目指してきた。繁忙期・閑散期の波を小さくすれば、従業員を季節雇用から正規雇用へと切り替えることができる。観光業界は繁忙期を季節雇用のアルバイトで凌いでいるが、臨時雇用で乗り切ってもスタッフのスキルアップにつながらない。従業員を正規雇用化できれば、宿泊施設・飲食施設などのサービス向上につながり、回り回って観光業界全体の魅力向上にも結びつく。
こうした背景もあり、観光業界は中国以外の国から観光客を誘致することを模索してきた。当初、中国人の次としてターゲットに据えられたのが、人口が多く経済成長が著しいインドネシアだった。しかし、インドネシア人観光客の取り込みはうまく進んでいない。
「インドネシアはイスラム教徒が多いので、礼拝所の整備やハラール対応といった新たな負担が生じます。もちろん、長期的にはそうした対応もしていかなければなりませんが、そこまで手が行き届かないというのが現状です。個人経営の中華屋やカフェに『ハラール対応を』と呼びかけても、遅々として進んでいません。日本において、イスラム文化は馴染みが薄く、理解が進まないのです。そうした事情も重なって、インドネシアからの観光客を取り込むことは難しいという判断がされているのです」(前出・地方自治体関係者)
タイ人観光客誘致
そして、新たな鉱脈としてタイに注目が集まるようになった。インドネシアに比べると、タイの人口は多くない。人口が多くなければ、費用をかけて訪日プロモーションを仕掛けてもメリットは薄い。それでも観光業界がタイに傾注するには理由がある。
タイは東南アジア諸国でも観光業が盛んな国でもあり、欧米諸国から多くの観光客が訪れる半面、タイから海外に出かけるハードルも低く、タイからの観光客は増えている。訪日タイ人観光客に着目する事業者も出てきた。成田空港と東京を結ぶ路線を有する京成電鉄や系列の京成バスなどでは、多言語対応として新たにタイ語の導入が進んでいるのだ。京成職員はこう話す。
「現状、看板などでは日・英・中・韓の4カ国語を載せています。これは表示スペースの問題で、たくさんの言語を載せることができないからです。しかし、そうした制約のないQRコードによる情報発信ではタイ語による情報提供が進められています。まだ、京成全体に広がっているものではありませんが、タイ語による案内は確実に増えています」
浅草や上野といった外国人観光客をたくさん集める台東区は、早い段階からタイ語の観光パンフレットを作成。タイ人観光客の取り込みを図ってきた。タイにはソンクラーンと呼ばれる旧正月の休みが4月にある。この期間に訪日するタイ人観光客が増えれば、観光業界が目指す外国人観光客数の均等化は一気に進む。ソンクラーンは中国人観光客が多く訪れる春節と時期がズレていることも都合がいい。
問題は東京五輪閉幕後の冷え込みだが、この時期からタイ人観光客の取り込み戦略が本格化するといわれている。まだ、東京・京都・大阪などでタイ人観光客を見かける機会は少ないが、日本の観光業界、そして日本経済の救世主になるかもしれない。
(文=小川裕夫/フリーランスライター)