
6月8日、米国の食品医薬品局(FDA)は「アルツハイマー病の画期的な新薬を承認した」と発表し、日本でも大きなニュースになりました。米国の製薬企業バイオジェン社と日本のエーザイが開発した薬でした。過去形で述べるのは、それなりの出来事があったからです。
まず、どこが画期的だったのかをまとめておきましょう。アルツハイマー病の従来の薬は、どれも神経信号の伝達を促進して脳の働きを回復させることを狙ったものです。しかし、さまざまな評価が行われた結果、ほとんど効き目がないか、あっても半年くらいしか続かないことがわかっていました。
アルツハイマー病は、神経細胞に溜まる「アミロイド・ベータ」という異常物質が原因とされています。この新薬は、異常物質を包み込んで神経に溜まらないようにする機能を持たせたものでした。月に1回だけ点滴で体に入れるだけでよく、まさに夢の薬だったのです。
その臨床試験(治験)は、製薬企業が中心となり2つ同時に開始されました。しかし、2019年の春、効果が見込めないことが明らかとなり、2つの治験は中止を余儀なくされました。
その7カ月後、同企業は「2つの治験のうち、ひとつについてデータを再分析したところ、薬の使用量を一番多くしたグループで、プラセボに比べアミロイド・ベータの減少が明らかに認められた」として、この新薬をFDAに申請することを発表しました。
申請を受けたFDAは、「迅速承認」という手続きに従って審査を行い、承認することにしました。これが冒頭のニュースです。薬の値段は1年分で約600万円です。製薬企業には巨万の富をもたらし、また認知症に怯える大勢の人々の福音となるはずでした。
しかし、その後、話は意外な方向へと変わっていきます。FDAが認可を発表する2カ月前、この薬の審査を担当した外部の専門家11人のうち、3人が突然の辞任を発表したのです。辞任したひとり、ハーバード大医学部教授は、「2つの治験が行われ、両方とも失敗したにもかかわらず、一部のデータを取り出して、有効だと主張するのは間違っている。自分が知る限り、FDAによる最悪の判断だ」と述べています。
専門家会議では、この人たちも含め10人が承認に反対し、ひとりは保留しました。理由は、ほかにもいろいろあり、脳が腫れてしまったり、脳内で出血したりする重い副作用の懸念も拭えない、などでした。
その後も、余波は続きます。治験に協力した医師の1人は、「たとえ薬が効いているとしても、ごく短期間であり、副作用のほうが心配だった」「薬を使う条件が、特殊な検査でアミロイド・ベータが確かに存在することを証明しなければならず、トータルの医療費は計り知れない」と述懐しています。「アミロイド・ベータを減らして症状が改善するというエビデンスはない」とまで言い始める人もいて、収拾がつかない状態になっています。