JR東海の金子慎社長が静岡県民や関係自治体トップに真摯に向き合わないことが、同県内でのリニア中央新幹線着工が進まない最大の理由だ。トンネル工事により、農作業に不可欠な大井川の水量が減少する懸念があり、反対論が根強い。金子氏は9月18日に流域の首長との意見交換会終了後、「(流域の懸念は)想像以上」と述べ、関係者を唖然とさせた。
「知るのが遅い」
「知るのが遅い」。リニア工事の着工に慎重な静岡県の川勝平太知事は9月21日の記者会見で、前述の金子発言に強い不快感を示した。
リニアのトンネル工事により失われる水を戻す方法をめぐり、静岡県とJR東海は対立を深めている。県は水の「全量戻し」を求めているが、JR東海は10〜20年掛けて戻す案を示しており、議論が噛み合わない。
JR東海が提示した案では、あまりにも時間が掛かる上、多額の費用が必要とみられるため事業の継続性に疑問符が付いている。意見交換会では、(1)ルート変更も選択肢に入れた検討をすること、(2)トンネル工事で発生した残土が上流の川沿いに積み上げられることへの懸念、といった意見が出席した首長らから出た。
金子氏は具体的な検討を進めたいと伝えたが、関係者の不信感は到底拭い切れない。川勝知事は「(JR東海は)大丈夫だと言うだけ。住民の理解を得られないようにしてきたのがこれまでのJR東海の態度ではなかったか。誠意に欠ける」と痛烈に金子氏を批判した。
葛西名誉会長の腰巾着
厳しい局面に立たされている金子氏とは一体どのような人物なのか。金子氏は東大法学部卒業後、1978年に国鉄に入り、JR東海人事部長などを経て、2018年4月に社長に就任した。葛西敬之名誉会長の腰巾着とも揶揄され、指導力が欠如しているというのがもっぱらの評判。静岡県民から絶大な人気を誇る川勝知事に無策ぶりを見透かされ、まったく相手にされていない。
JR東海の置かれている立場がさらに悪くなったのは10月のこと。参院静岡県選挙区の補選で川勝知事が支援する野党系の山崎真之輔氏が自民党公認候補を大差で破った。川勝知事は積極的に街頭に立ち、山崎氏の支持を呼び掛けた。知事が「国政応援に入るのは珍しい」(地元記者)といい、知事が支援に回ったことが功を奏したようだ。
山崎氏はリニア推進の自民党候補に5万票近い差を付けた。リニア反対の共産党候補者も11万票以上獲得し、野党系で自民党を圧倒。これにより、改めて争点となったリニア問題について、県民がJR東海にノーを突き付けた。
川勝効果は10月31日に投開票が行われた衆院選にも影響が及んだ。川勝知事と敵対する大物議員、塩谷立元文部科学相が小選挙区で落選し、地元では激震が走った。
リモート普及でリニア不要論
世の中の労働環境の変化もJR東海には向かい風となっている。新型コロナウイルス感染拡大により、出張をせずに東京と地方をオンラインでつなぐリモート会議やテレワークなどが急速に普及した。鉄道や航空機の需要減退が続いている。
東海道新幹線がドル箱だったJR東海の22年3月期決算の業績予想によると、最終損益は300億円の赤字になる見通し。最終赤字は2期連続。コロナ禍に伴う外出自粛で鉄道需要が落ち込んだことが要因だ。今後も厳しい環境が続く。
在宅勤務やリモート会議が一般化するなか、仮にコロナが収束したとしても以前の水準に需要が戻るとは考えにくい。そうなると、移動時間の短縮を図ることが目的の「リニアは不要」(30代会社員)となりそうだ。
静岡県以外でもリニア反対論が巻き起こるなど、同社は向かい風にさらされている。
在宅勤務の浸透、静岡県民の厳しい世論、不透明感漂うコロナのゆくえ。この3つの難題をクリアできなければ、ルート変更どころか、リニア建設そのものが暗礁に乗り上げるリスクを抱えている。
(文=編集部)