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ベートーヴェンやモーツァルトが大成した理由…親が音楽家であることが重要?

文=篠崎靖男/指揮者
ベートーヴェンやモーツァルトが大成した理由は親?
モーツァルトの前でピアノを弾くベートーヴェンの絵(「Getty Images」より)

 一般的に、ベートーヴェンのように後生に名を残す作曲家たちは、両親ともに著名な音楽一家で優雅な暮らしをしながら、豪華なシャンデリアがかかった大広間でピアノの練習をするような幼少時代を送っていたことが多いものです。

 こんなことを書いたら、音楽仲間から大抗議を受けるに違いありません。

 1770年に神聖ローマ帝国(現ドイツ)のボンで生まれたルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン。父は当地のオペラ劇場で歌っていたテノール歌手でしたが、母親は宮廷料理人の娘で音楽家ではありませんでした。当時は、歌手といえども使用人にすぎず、両親ともに使用人の身分なので、シャンデリアの下で優雅にピアノを練習などできるはずありません。

 何よりも、ぱっとしない歌手だった父親が、酒を飲んでは夜中に帰ってきてベートーヴェンを叩き起こし、「うちの息子には才能があるようだから、モーツァルトのように育てて引き回して大もうけをしよう」と、寝ぼけ眼のベートーヴェンを酔っ払いながら叱りつけて、ピアノの前に座らせるような人物だったのです。

 ベートーヴェンの優れた才能は父親よりも、宮廷楽長として尊敬を集めていた祖父から受け継いだようです。ベートーヴェン自身も、自分の部屋に祖父の絵を飾っていたくらい敬愛していたのです。しかも、ベートーヴェンが育った家は、飲んだくれの父親の収入は途絶えがちで、祖父から援助をもらって生活していたようです。

 そんななか、1774年に偉大な祖父が亡くなってしまいます。大きな収入源を絶たれた父親は、「才能がある息子を育てて、一発当ててやろう」と、現在ならば虐待といわれるに違いないスパルタ教育をしました。ベートーヴェンは、音楽がほとほと嫌になってしまう時期もあったそうです。

 その後、順調に才能を開花した若きベートーヴェンは、「第二のモーツァルト」とまでいわれるようになっていましたが、もう13歳になっていました。6歳にして「神童」と評判になり、オーストリア・ハプスブルク王室のマリア・テレジアの前で御前演奏をしたモーツァルトに比べると少し遅きに失する感が否めません。そこでベートーヴェンの父親は年齢を2歳若くサバを読んで売り込みますが、やはりモーツァルトの輝かしさには敵わず、父親の壮大な計画は失敗に終わることとなります。

 それでも、幸運にも良い音楽教師に恵まれたベートーヴェンは、一歩一歩しっかりとキャリアを積んでいき、200年後の今現在もオーケストラ定番の人気作曲家となったことは言うまでもありません。

ベートーヴェンとモーツァルトは面識があった?

 ところで、ベートーヴェンの父親がビジネスの面で真似をしようとしていた神童モーツァルトの父親レオポルトは、息子がまだ10歳にもならない頃からヨーロッパ中を引きずり回していました。イタリア、ドイツ、パリ、ロンドンと、当時の劣悪な交通事情による長旅をさせたことで、その後のモーツァルトが長く生きられなかったのではないかともいわれているくらい過酷な旅を、年端もいかない少年に課したのです。

 このレオポルドは、ベートーヴェンの父親とはまったく違い、真面目一徹な人物でした。もともとは哲学と法律を学ぶためにザルツブルクにやってきたのですが、そこで音楽に夢中になってしまい、とうとう学校を退学になってしまいます。その後は努力に努力を重ねて、優秀なヴァイオリン奏者としてザルツブルク宮廷副楽長にまで登り詰め、今もなお世界中のヴァイオリン学生に読まれている「ヴァイオリン教則本」を執筆したのでした。

 しかし、なんといっても彼の後生に残る大きな功績は、息子の才能を発見し、存分に教育を施したことです。幼い息子をヨーロッパ中に引きずり回したのも、一儲けしたかったわけではなく、音楽の本場イタリアをはじめとして、当時、音楽的にも充実していたウィーン、ロンドン、パリ、マンハイムなどに滞在し、息子の音楽の幅を大きく広げ、着実な就職先を見つけることが目的でした。

 その後、モーツァルトはウィーンに移住して大スター作曲家として大成功を収めますが、レオポルドはそれに浮かれることもなく、終生ザルツブルク宮廷副楽長を務め、実直な人生を送りました。

 ベートーヴェンとモーツァルトの2人が大成功できたのは、もちろん彼らのたぐいまれなる才能のおかげですが、何よりも当時のヨーロッパでもっとも繁栄していた都市のひとつ、ウィーンで活動をしたという共通点があります。

 ベートーヴェンは、年長者でもあるモーツァルトを深く尊敬していました。何度かモーツァルトのレッスンを受けたことがあるとか、演奏を聴いてもらったなど、さまざまな説がありますが、実際には会っていないという説も有力です。

 ウィーンは僕も留学した地なのでよくわかりますが、歩いて一周できるくらいコンパクトな街です。そのため、カフェやコンサート会場で、もしかしたら通りを歩いている最中などに、挨拶くらいはしているのではないかというのが僕の考えです。

 モーツァルトやベートーヴェンは、音楽一家に生まれたおかげで英才教育を受けることができたのは確かです。時間をさかのぼれば、バッハなどは家業自体が音楽家で、自身も人気作曲家となり、その作品は今もなお演奏されています。また、先妻と後妻の間に、なんと合わせて20名も子供をもうけていますが、そのなかで成人した男子6名は、しっかりと音楽教育を受け、いずれも音楽の才能に恵まれていました。今もなお、さすがに父親ほどではありませんが、息子たちの作品も頻繁に演奏されているのです。

 しかし、実はあまり音楽とは関係のない家で育った大作曲家も多いのです。交響曲第9番『新世界より』で有名なアントン・ドヴォルザークの実家の家業は肉屋ですし、一大ブームを起こしたグスタフ・マーラーの父親は酒類販売業で成功した人物で、母親は石けん製造業の娘でした。バレエ『白鳥の湖』で有名なピョートル・チャイコフスキーの父親は鉱山技師だったのです。

 ちなみに、こんな大作曲家と一緒に語るのはおこがましいのですが、僕の実家はそば屋です。

(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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