共同通信によると、イギリスでペットの犬を盗まれる事件が多発しており、イギリス政府は犬泥棒に対して最高5年の禁固刑を科す新たな刑事罰を導入する方針だそうです。
僕も愛犬家なので犬泥棒はとても許せませんが、5年の禁固刑はいささか重すぎるのではないかと思っていたら、日本で犬を盗んだ場合は窃盗罪として「10年以下の懲役または50万円以下の罰金」となっています。実際は犬泥棒で10年間もの服役にはならないと思いますが、日本のほうが厳しいことになります。
2020年のイギリスでの犬泥棒は2400件余りに上っており、コロナ禍での在宅時間が増えたためにペットの需要が高まって価格が高騰したことも背景にあるようですが、もうひとつ理由があると思います。
イギリスのロックダウンは、決められた日時での食料や生活必需品の買い物を除いて、家から一歩も出てはならないという厳しいもので、日本の緊急事態宣言どころではありませんでした。そんななかで唯一、自由に外出できる方法がありました。
それは犬の散歩です。そこで、少しでも外の空気を吸いたいと犬を飼う人が急増し、隣家のペットを借りて散歩する人まで多数いたそうです。ロックダウン中はペットも大忙しで、一日に何度も飼い主を替えて散歩をすることになったでしょう。
僕も8年間生活をしていたのでわかりますが、イギリスではちょっとした商店街でも警察がパトロールしている姿をよく見かけます。しかし、犬と一緒に歩いてさえいれば、不要な外出をとがめられることもありません。ロックダウン中には、人気犬種は90%ほど価格が高くなったといわれています。しかし、いくら犬の需要が高まったからといって、売買目的で飼い主の家族ともいえる大事な犬を盗んではいけません。
クラシックで行われる“パクリ”
実は、クラシック音楽の世界でも盗難事件はあります。今回は、よく耳にする高額楽器の盗難ではなく、曲の盗難の話です。ほかの作曲家がつくった名メロディーを盗んで、こっそりと自分の曲に取り入れてしまう“パクリ”です。ばれてしまったら、あっという間に作曲家としての信頼を失ってしまうような行為ですが、ひとつだけ堂々と盗むことができるやり方があるのです。
それは変奏曲です。音楽家や愛好家ならば、ピンと来るだけでなく「あれは盗作ではないよ」と抗議されると思いますが、変奏曲というのは、古くは17世紀のバッハ、18世紀のモーツァルトなどを経て、19世紀にはベートーヴェン、ブラームスとたくさんの名作が生まれた音楽の形式です。
どういう音楽か説明すると、最初に短く、覚えやすいメロディーをテーマとして始めます。そして、その曲を少し変化させた第一変奏曲、もう少し変化させた第二変奏曲と続けていきます。ベートーヴェンの大傑作『ディアベリ変奏曲』などのように33曲もの変奏曲が並ぶと、もう最初のテーマのメロディーなどわからなくなってきますが、基本的には最初のテーマさえ覚えておけば、そのテーマをどのように変化させていくのか、そんな作曲家の腕のみせどころを楽しむ、遊び心たっぷりの音楽なのです。
変奏曲を作曲するのに大切なことがひとつ、あります。それはテーマが覚えやすいことです。よほどの天才でもない限り、一度聴いただけで新しいテーマを覚えるのは難しいものです。そこで、過去に作曲した、有名なメロディーをテーマとして使用することが多いのですが、本人の曲よりも、誰もが知っている他人の有名曲を借用することが多くあります。言い方を変えると、堂々と盗むわけです。
かのモーツァルトであっても、『きらきら星変奏曲』のテーマに選んだのは、当時、大流行していた、フランスの恋の歌です。モーツァルトと思って聴いていても、最初の出だしはまったく別人の音楽なのです。そんなモーツァルトの曲も、死んだ後にはもちろん盗まれており、あの有名なショパンは、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』のテーマを使って変奏曲を書いています。
もちろん、自分で作曲したテーマで、正々堂々と「すべて自分の作曲した音楽だ」と言える曲もありますが、変奏曲を書かせたら右に出るものはいないともいわれるブラームスでも、大先輩のハイドン、ヘンデル、パガニーニと、みんな死んでしまっているのをいいことに、彼らの曲を使いたい放題でした。
とはいえ、当時は音楽著作権の感覚もなく、盗む意識などありませんでした。むしろ自分のメロディーでないからこそ、他人のメロディーをどんどん自分の色に染めていく変奏曲は、作曲家としての腕の見せどころがあります。たとえばブラームスは、自身より約150年前に活躍したヘンデルのメロディーをテーマとして使用し、自分の個性を入れ込みながら25もの変奏をつくり上げることができる、最高の技術と芸術性を持ち合わせている作曲家でした。
ロシアの作曲家チャイコフスキーであれ、交響曲にロシア民謡を入れ込んで、これまでのドイツ中心の交響曲との違いを鮮明にしたわけですし、西洋のクラシック音楽の歴史は“パクリの歴史”です。パクリながらも、そこにどれだけの自分の個性を入れ込んで、もっと素晴らしい作品にするのが、19世紀までの作曲家の腕前のひとつでした。
あの名曲を使用して巨額の著作権料を支払うはめに……
ところが、19世紀の終わり頃になって、同じようにやって痛い目に遭った大作曲家がいました。それは、ドイツのリヒャルト・シュトラウスです。オーケストラサウンドを自由に駆使して、まるで情景が目の前に見えるような音楽をつくる大天才です。
1886年、まだ22歳だったシュトラウスが、イタリアを旅行中に大きな印象を受けて作曲したのが、交響的幻想曲『イタリアより』です。最後の曲『ナポリ人の生活』のメロディーには、イタリア・ナポリの超有名歌曲『フニクリ・フニクラ』が借用されています。僕もずいぶん前にドイツのオーケストラでこの曲を指揮したことがありますが、クラシックの音楽を指揮しているというよりも、『フニクリ・フニクラ』のオーケストラバージョンを指揮している感じでした。
皆さんも必ずどこかで、しかも何度も聞かれたことがあるはずのこの曲を、当時のシュトラウスはナポリの民謡だと勘違いし、そっくりそのまま使用してしまったのです。しかし、この曲は古くからのナポリ民謡ではなく、6年前に建造されたナポリ近郊にあるヴェスヴィオ火山の登山電車のコマーシャルソングで、当時、大ヒットしていたのです。
19世紀の終わり頃には、著作権は当然の権利として考えられ始めており、作曲者のルイジ・デンツァは生存していたため、シュトラウスは告訴され、全面的に敗訴することとなりました。結果として、この曲が演奏されるたびに、シュトラウスは『フニクリ・フニクラ』の作曲家に著作権料を支払うはめになったのです。しかも皮肉なことに、シュトラウスは著作権運動に一生懸命取り組んでいたので、文句は言えなかったのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)