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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

オーケストラで使う指揮台、驚異的に高額なワケ…指揮者だけが見られる至極の景色

文=篠崎靖男/指揮者
オーケストラで使う指揮台、驚異的に高額なワケ
手すりの付いた指揮台(写真の指揮者はヘンリー・ウッド/「Getty Images」より)

「指揮台に立つと、どんな感じですか?」

 このように聞かれることがよくありますが、これは読者の皆様も興味があるのではないかと思います。ちなみに、言うまでもなく、指揮台に立つ人物とは指揮者のことです。

 リハーサルが始まる前に、オーケストラの楽員から選ばれたインスペクターが、「今日のリハーサルは、ベートーヴェンの交響曲から始まり、序曲、そして最後に協奏曲です」と確認したり、事務局員が「明日の巡回コンサートでは、お弁当が用意されています」などとオーケストラの前に立って伝達事項を伝えたりしますが、彼らがオーケストラの真っ正面に置かれている指揮台の上に立つことはありません。

 指揮者の僕にとって指揮台は“仕事のための台”くらいの認識ですが、オーケストラの楽員も含めて、その上に立つ人物は指揮者以外にいないのです。

 もちろん、舞台セッティング作業では、ステージマネージャーが指揮台の上に立って指揮者の譜面台の高さ調整等をすることもありますが、それはオーケストラがいない準備作業の時間です。通常は「ここは立ってはいけない場所」だと思われているのか、楽員が舞台の右から左に移動する場合に、指揮台の上を歩けば最短距離であっても、指揮台には上がらず回り込んで移動することがほとんどです。

 そんな指揮台の上に立つとどんな感じかといえば、すべての楽員の目がこちらを向いています。「なんだ、そんなことか」と拍子抜けされるかもしれませんが、例えば、学校の授業で先生が話をしていたり、会社の大規模会議等で重要な人物が発言しているときであっても、何人かは下に向いていたり、天井を仰ぎながら目をつぶって聞いていたり、メモを取ったりしていて、全員の目が自分に向いていることなど、あまりないと思います。しかも、全員が固唾を飲むように真剣に見つめていることなど、なかなかないのではないでしょうか。そういうシチュエーションを毎回、経験しているのが指揮者です。

 その瞬間は、コンサートの最初から早速訪れます。ステージに指揮者が登場し、観客にお辞儀をしたあとオーケストラのほうに体を向け指揮棒を構えた時には、楽員全員が瞬きもせずに指揮者を見つめています。

 彼らは曲の始まりの合図を待っているのです。もちろん、一部の楽器のみから始まる曲もあるので、そういう場合には全員の目がこちらに向いているというわけではありませんが、オーケストラ全員が指揮者をしっかりと見つめ、曲の始まりを待っている瞬間は、時には100名近い人間の視線を指揮者は浴びるという、日常生活ではなかなか経験しない状況となります。

 楽員にとっても真剣そのものです。もし指揮者の指揮よりも早く音を出してしまったとしたら、その一人だけの音がホール中に響き渡りますし、遅く出たとしても周りの楽員たちの厳しい目線を浴びることとなるからです。

指揮者にとって非常に難しい“最初の一振り”

 指揮者の最初の一振りは、始まりの合図というだけではありません。それだけであれば、ベテランの楽員などは、それほど極限まで集中して見ている必要はないでしょう。実は、始まりの合図だけでなく、その後に続くテンポ、音量、音楽の雰囲気を、指揮者のたった一振りから楽員は読み取っているのです。指揮は、腕を上げて下ろすだけの誰でもできそうな単純な動きですが、特に最初の一振りは何年も指揮者をやってきても、今もなお難しいと思います。

 オーケストラの特別企画で、観客の中から一人だけ抽選で選んで短い曲を指揮してもらうことがありますが、最初の出だしがなかなか上手くいかないのは、この単純な運動にこそプロ指揮者の腕前が詰まっているからです。指揮科の学生のみならず、プロになったばかりの若手指揮者も苦労するくらいです。

 僕もデビューしたての時期には、もちろん上手くいかないこともありました。そんなときには、70名の楽員の目の色がさっと変わり、「なんだこの若い指揮者、指揮をまだ上手に振れないのか」と、全員の目が語っているようでした。指揮者は出だしに失敗すると、そんな恐ろしい状況を指揮台の上で味わうことになるのです。

 オーケストラの楽員がよく使う言葉に、「指揮者なんて、リハーサルの最初の3分間で、良いか悪いかわかる」というものがありますが、「最初の一振りでわかる」とも言えるのです。しかも、「すみません、もう一度やり直していいですか?」なんて言える雰囲気など、みじんも無いことは言うまでもありません。

実は超高額な指揮台

 ところで指揮台は、もちろんオーケストラと指揮者の双方が、お互いをよく見えるように置かれています。指揮者からは、すべての楽員はもちろん、合唱団がいたとしても、すべての合唱団員の顔が見えます。もし、指揮者から顔が見えない楽員がいたとすれば、楽員も指揮者が見えないことになります。

 そんな指揮台ですが、コンサートホールで使用されているのは二段式で、一段15cm、重ねると30cmとなるのが一般的です。身長が高い指揮者なら15cmで十分ですし、かなり身長が高い指揮者ならば、指揮台自体が必要ない場合もあります。ちなみに、僕は身長が170cmなので、迷うことなく二段重ねの30cmを指定します。

 指揮台は、見た目は単なる演台のようですが、重く硬い木からつくられており、二人がかりで運びます。指揮者は指揮台の上で大暴れをするので、指揮台が軽ければステージ上で滑って移動してしまいますし、指揮者の足踏みで指揮台が上下に動くようなことがあれば大きな音が出てしまい、オーケストラサウンドを邪魔することにもなりかねません。

 つまり、指揮台は指揮者が出すノイズを押さえ込むことが必要なのです。指揮台の表面はフェルト下地で絨毯張りされて、指揮者のエナメル靴が発する靴音を吸収しています。なかには何度もジャンプする指揮者もいるので、巨漢指揮者が飛び上がってもビクともしない頑丈な物でないといけないのです。

 そんなわけで、コンサートホールで使用されている指揮台は、材質も吟味されており、かなりの高額となります。あるメーカーの二段式の指揮台の値段を調べたところ、なんと56万8000円(税別、以下同)で販売されています。そこに、指揮者が指揮台から落ちないように手すりのような取り外し可能なパイプを付ければ、69万8000円に上ります。ほとんどのホールではこのパイプ付きのタイプを常備しているのですが、ちょっとした軽自動車並の値段です。

 指揮台以外の備品では、一人で運ぶのが大変なほど大きい指揮者用の譜面台は13万8000円です。とはいえ、指揮者用の備品だけが特別高額なわけではなく、プロオーケストラが使用する譜面台も一台4万円です。舞台上で絶対に動かない重量と形状を持った譜面台は、それなりに高くなります。それだけでなく、長時間演奏するためのしっかりとした椅子も必要ですし、オーケストラは楽器だけでなく備品を揃えるだけでも大変なのです。

 ところで、桁外れの緊張感を受ける指揮台の上からの景色ですが、その半面、最高なのは、演奏がとても上手くいったときに、楽員が満足げにこちらを見てくれるときです。感動で顔が紅潮している楽員、満面の笑みの楽員、やり遂げた満足感で指揮者を見つめる楽員……。最後の音を終えた直後、もしかしたらたった一秒くらいの時間かもしれませんが、指揮者になって本当に良かったと思える瞬間です。そんなとき、指揮者は背中を向けていて見えるはずのない観客全員の視線まで感じるのです。

(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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