
JR東海名誉会長の葛西敬之(かさい・よしゆき)氏が5月25日、間質性肺炎で死去した。81歳だった。安倍晋三元首相と親密で、財界きっての保守派ブレーンとして知られた。安倍元首相は葛西氏の死去に際して「寂しい気持ちだ。素晴らしい経営者だったが、一言で言えば国士だった。体の重心の真ん中に常に国家があり、常に国家のことを考えておられる人だった」と国会内で記者団に語った。
葛西氏は1963年、東京大学法学部を卒業し、日本国有鉄道(国鉄)に入社した。国鉄では労務畑を歩き、労組対策で辣腕を振るった。労働組合からは激しく反発されたが、自民党の三塚博・元運輸相(故人)と通じ、国鉄民営化の旗手になった。三塚氏のスピーチや著書のゴーストライターとしてフルに活躍するなど、当時から政治の世界のプレーヤーだった。
分割民営化の際には、のちにJR東日本社長となった松田昌士氏(故人)、JR西日本社長を務めた井手正敬氏とともに、「国鉄改革3人組」と呼ばれた。87年、JR東海が発足して以来、経営の中枢にあり、95年から社長、2004年以降は会長を務めた。2014年、名誉会長に退いた後も20年まで取締役にとどまった。その後も名誉会長として、「JR東海の天皇」として君臨した。
安倍元首相を囲む「四季の会」「さくら会」を主宰
葛西氏は親米保守派の論客として、安倍元首相の右派人脈につらなる人物だ。日本最大の右派団体である日本会議の幹部と顔ぶれが重なる「美しい日本の憲法をつくる国民の会」では代表発起人に名を連ねた。安倍首相が第1次政権時代に肝いりでつくった「教育再生会議」のメンバーでもある。
安倍氏が首相に就任する前から、大企業のトップでつくる親睦会「四季の会」をつくり、安倍氏を支えてきた。葛西氏と富士フイルムホールディングス最高顧問の古森重隆氏が「四季の会」の中心メンバーである。第2次安倍政権発足後は、葛西氏が発起人となって、三菱グループなどの重厚長大産業の経営トップを集めた「さくら会」を組織した。経団連会長となった日立製作所会長の中西宏明氏(故人)は「さくら会」のメンバーだった。
「四季の会」はNHK(日本放送協会)の人事権を掌握してきた。第1次安倍政権が誕生するとNHKの経営委員会委員長や会長の人選は「葛西氏と古森氏が事実上、仕切った」(財界首脳)とされる。20年にNHK会長に就任した、みずほフィナンシャルグループ元会長の前田晃伸氏は「四季の会」のメンバーだった。
葛西氏には異能の経営者という枕詞がつきまとう。JR東日本と川崎重工業が新幹線に関する技術を中国に輸出した時には「国を売り渡す行為」と猛反対した。結果は、葛西氏の予言通りになった。中国政府は輸入した新幹線を「自前の技術で創った純国産の最先端製品」と僭称し、世界各地で売り込みを図った。日本の新幹線の強力なライバルに中国製の新幹線がなったわけだ。親米反中韓というスタンスが、安倍氏の考えとぴったり一致したことから重宝された。多くの企業が有望市場とする中国を「信用ならざる国」だと公言し続けたため、財界主流派からは「異端の経済人」と冷ややかな目で見られていたのも事実である。