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江川紹子の「事件ウオッチ」第205回

江川紹子が見た【日本赤軍・重信房子元最高幹部の出所】語られた反省と、その限界

文=江川紹子/ジャーナリスト
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5月28日午前8時前、東京都昭島市の東日本成人矯正医療センターを出所し、支援者らに出迎えられる日本赤軍の重信房子元最高幹部。(写真:AFP/アフロ)
5月28日午前8時前、東京都昭島市の東日本成人矯正医療センターを出所し、支援者らに出迎えられる日本赤軍の重信房子元最高幹部。(写真:AFP/アフロ)

 久しぶりに、マスメディア上で「日本赤軍」の名前を見聞きした。それも立て続けに。

 まずは重信房子・元最高幹部(76)の出所。新聞では、出所する数日前から報じられた。そしてイスラエル・テルアビブのロッド空港(現ベン・グリオン国際空港)での銃乱射事件の実行犯で、ただ1人生き残った岡本公三容疑者(74)=国際手配中=が、亡命先のレバノン・ベイルートで行われた事件の50周年記念集会に参加したことが、映像とともに伝えられた。「日本赤軍」は、2001年に重信元最高幹部が獄中で解散を宣言しているが、警察庁の中村格長官は定例記者会見で、「過去のテロ事件を(今もなお)称賛している」として、「(日本赤軍の)解散は形だけのものに過ぎず、テロ組織としての危険性がなくなったとみることは到底できない」と強調した。

重信房子・日本赤軍元最高幹部による反省と謝罪

 重信元最高幹部は、出所時に「再出発にあたって」と題する手記と事前に記者から寄せられていた質問に答える回答書を発表し、10分程度の記者会見に応じた。その手記や会見を、謝罪と反省の言葉から始めたのは、私には意外だった。

 2000年に大阪市内で逮捕された際、手錠をはめられた両手を顔の高さまで上げ、親指を立ててみせるなど、旺盛な闘争心が印象的だったからだ。裁判で、否認していたハーグ事件を含めて有罪となり、懲役20年を言い渡された際にも、支援者に向かってガッツポーズをとった、と報じられている。

 謝罪の対象は、まず自分を匿って犯人隠避罪などに問われた支援者たち。次いで「私や、日本赤軍の斗いの中で政治・軍事的に直接関係の無い方々」に対して「心ならずも被害や御迷惑をおかけした」と詫びた。

 反省の弁で印象的なのは、次の言葉だった。

「革命の『正義』や『大義』のためなら、どんな戦術をとってもかまわない、そんな思いで70年代斗い続けました。こうした自分たちを第一としている斗い方に無自覚でもあり無辜の方々にまで、被害を強いたことがありました」

 目的のためには手段を選ばない――それは、オウム真理教などのカルト宗教と日本赤軍など政治的カルトが共通して持つ特徴のひとつだ。重信元最高幹部が、ここに自分たちの最大の欠陥があったと考え、まずはこれを挙げたとすれば、組織をかなり冷静に見られるようになっている、といえるのではないか。

 出所時の態度は、逮捕時に比べてかなり謙抑的にみえた。逮捕から22年が経ち、彼女ももはや後期高齢者である。服役中にがんが見つかり、医療刑務所で4度にわたる手術を受け、命拾いをした。出所前にも新たなポリープが見つかり、治療が必要な状態、という。

 彼女は、自分を救ってくれた医師、看護師、刑務官らに感謝の言葉も述べた。また彼女は、刑務所内で改善指導のひとつとして「被害者の視点を取り入れた教育」を受けたが、そこで講師となった交通事故遺族の片山徒有さんに感銘を受けたことを、近著のなかで「受刑者である私たちと対等に話をしようとしてくれました」と書いている。老いと病、そして刑務所内での様々な体験や出会いが、彼女のとげとげしい闘争心を鎮め、内省に向かわせたのではないか。

現在ではもはや現実感に乏しい「テロ組織としての危険性」

 一方で、彼女は「私は、自分が『テロリスト』と考えたことは、ありません」とも述べた。

「『テロリスト』呼称は、政治的意図や背景を隠し、『犯罪者』化する目的で、レーガン政権や、イスラエル政府が進めてきた時代の産物でした」

 しかし、自分たちの政治目的を実現するために、一般人をも巻き込む暴力は、「テロ」以外のなにものでもないだろう。そうした行為を手段としてとる者が、「テロリスト」と呼ばれ、「犯罪者」として扱われるのは当然ではないか。確かに、「日本赤軍」による事件が多発していた時代には、「ゲリラ」と呼ばれることが多かったが、呼び方が異なっても、その行為が非難すべき犯罪性に満ちていること変わりない。

 また彼女は、武装闘争路線に対する反省の弁を述べつつ、近著のなかでは、空港を利用する一般人など約100人の死傷者を出した空港乱射事件を引き起こした岡本容疑者ら3人について、イスラエルで虐げられているパレスチナ人のためにはせ参じた「日本人義勇兵」と述べ、「闘う者の無私の志」を称賛している。

 一連の事件に対する彼女の反省は、まだ緒に就いたばかりなのだろうか。多くの人の尽力で、生きて社会に戻った意味を考え、より内省を深め、自らを見つめ直してもらいたい、と思う。

 ただ、それには彼女の元最高幹部としての立場、年齢や病気により人生の残り時間が多くない、という状況が障害になるかもしれない。かつての仲間、とりわけ「戦死」した者たちを称え、共に闘った青春の時を美しく書き残したいという衝動からはなかなか抜け出せないだろう。そのうえ「日本赤軍」の活動を全否定することは、彼女自身の人生をまるごと否定することになりかねない。

 それを考えると、今後の時代の証言者として語ることはあっても、今の日本社会が求めるような反省の境地に至るのは難しいのかもしれない。

 だが、警察庁長官が言う「テロ組織としての危険性」は、具体性や現実感が乏しいように思う。彼女はすでに後期高齢者で、病気も患っている。岡本容疑者をはじめ、「日本赤軍」の他の逃走犯もみな70代だ。

 テロ組織には、実行犯としての行動力があるメンバーが必要だ。重信元最高幹部が若い世代に影響力を与え、実働部隊を育てようとするなら、「危険性」を考えなければならない。だが、若い人たちにとっては、「重信? だれ?」という状況だろう。「日本赤軍」の活動の柱はパレスチナへの連帯だったが、彼女がいくら呼びかけても、そのために破壊活動に走る若者がいるのか、はなはだ疑問だ。結局のところ、彼女はかつての闘争を懐かしむ高齢元左翼活動家らの“アイドル”になるのがせいぜいではないか。

 そうしたノスタルジーと現実の危険性は分けて考えつつ、それでも彼女たちの「闘い」は、有害無益な犯罪行為だったと、しっかり歴史に刻み込んでおきたい。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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