ビジネスジャーナル > 企業ニュース > エリザベス女王の国葬が心に残るわけ
NEW
篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

エリザベス女王の国葬が心に残るわけ…葬送行進曲に理性を破壊する仕掛け?

文=篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師
エリザベス女王の国葬が心に残るわけ
エリザベス2世(「Getty Images」より)

 イギリス国会議事堂の敷地内にあるウエストミンスター寺院で行われた、エリザベス二世女王の国葬の様子は日本でも生中継され、合唱団やオルガン、そして軍楽隊のトランペットのファンファーレは衛星放送を通じても圧巻でした。それは、長い歴史を持つイギリス王室でも最長の在位を務めたエリザベス女王の素晴らしい業績を称えたもので、心から感動を覚えながら、悲しい葬儀を忘れ、女王の偉大さを理解しました。

 しかし葬儀が終わり、寺院から出された棺がイギリス海軍の兵士によって曳かれ、その後をチャールズ新国王、アン王女、ウィリアム皇太子が歩いていく姿は悲しく、軍楽隊による葬送行進曲の演奏が始まると、雰囲気は一変し、悲しい葬送行進の風景となったこともとても印象的でした。

 ちなみに演奏されていた曲は、18世紀前半に活躍したドイツ人作曲家、ヨハン・ハインリヒ・ヴァルヒの『葬送行進曲』です。ヴァルヒがベートーヴェンの6歳年下だったこともあってか、この曲はベートーヴェン作曲ともいわれていたそうですが、エリザベス女王の父親・ジョージ6世の国葬の際にも演奏されたほか、イギリスでは王室や軍隊の葬送、そして戦没者記念日でも演奏されます。

 そんな『葬送行進曲』が流れるなかエリザベス女王の棺は、長年暮らしたバッキンガム宮殿の前を通り、その後、車に乗せられてウインザー城の教会まで運ばれていきました。僕はテレビで見たその光景が寝室に入っても心から離れず、しばらく眠ることができませんでした。僕と同様の経験をされた方がいたことは、「翌日まで頭の中に残っていた」とSNSに書き込む方がいたことからもわかります。

 これは、女王の葬儀という特別な時間がもたらす印象が強いことは確かですが、『葬送行進曲』が知らず知らずのうちに影響しているのではないかと思います。特に、そのテンポです。

葬送行進曲のテンポが脳を支配?

 人間の脳の中には、発達した大脳新皮質があります。理性を司り、計算したり芸術を理解するために大事な部分ですが、人間にもっとも近いといわれるチンパンジーの3倍の大きさがあるそうです。

 そんな大脳新皮質の弱点は、アルコールとリズムといわれています。クラブでアルコールを飲みながら激しいリズムで踊っていると、理性を忘れてしまうということはよく知られていますが、夏の盆踊りであっても、19世紀のヨーロッパで大流行したワルツであっても、同じテンポで、同じリズムを繰り返されると、理性はあっという間に吹き飛んでしまい、トランス状態に近くなってしまうでしょう。

 今回のエリザベス女王の『葬送行進曲』も、ずっと同じテンポの行進曲のリズムを1時間以上聴いていると、だんだん不思議な気持ちになってきました。理由はそれだけではないように思え、テンポの速さを調べてみると、1分間に70拍。つまり、人間の標準的な脈拍と同じだったのです。

「人間にとって心地良いテンポは脈拍の速さ」と言ったのは、18世紀に活躍したフルート奏者のクヴァンツですが、今回の『葬送行進曲』はまさしくそれで、体にすっと入ってくるテンポでした。しかも、行進曲のリズムを鳴らし続けられると、理論的には大脳新皮質に影響することになります。

葬送行進曲、葬送のための曲とは限らない?

 葬送行進曲は、ヨーロッパでは古くから多くの作曲家たちが作曲をしてきました。日本人は、「葬送行進曲なんて縁起が悪い」と考えると思いますが、ヨーロッパでは中世のペストの大流行だけでなく、栄養や衛生状態の悪さから、近代になって医学が進歩するまでは、子供が生まれても半分は大人になるまでに死んでしまうような状況だったので、死が身近でした。18世紀の大作曲家モーツァルトも、もともとは7人兄弟でしたが、無事に大人になるまで育ったのは姉のナンネルとモーツァルト本人のみで、そのモーツァルトも35歳の若さで生涯を閉じてしまうという時代でした。

 モーツァルトも、『ピアノのための12の小葬送行進曲』ハ短調を作曲しています。とはいえ、実際に葬儀の場で使うための音楽ではありません。「葬送曲」は、音楽のジャンルの一つとしても盛んに作曲されていたのです。そんななかでも特に有名なのは、ベートーヴェン作曲の『葬送行進曲』です。なんと交響曲第3番『英雄』の第2楽章として作曲されたのです。

 ちなみに、この2曲の葬送行進曲に共通するのは、若干の違いがあるにせよ、テンポが脈拍に近いこと、そしてハ短調であることです。ハ短調は「死」をイメージさせる調性です。しかし、モーツァルトもベートーヴェンも、実際の葬送のために作曲したわけではなく、当時まだまだ作曲上の約束事が多かったなか、葬送行進曲というジャンルを利用して、自由に音楽を作曲したというのが本当のところではないでしょうか。

 さて、今回のエリザベス女王の葬送行進曲ですが、時折、クラシックの有名な葬送行進曲が挟み込まれていたことに気づいた方は、クラシック音楽に詳しいといえるでしょう。

 ショパンのピアノソナタ第2番、その名も『葬送』という愛称がつけられた、超有名なピアノ曲の第3楽章は気づいた方も多かったことでしょう。これも、クラシック音楽でもっとも有名な葬送行進曲のひとつです。それ以外にも、マーラーの交響曲第5番の第1楽章『葬送行進曲』の出だしのような音楽や、さまざまな作曲家の音楽が、エリザベス女王の葬送行進では1分間に70拍、脈拍の速さで演奏されていたのです。

(文=篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

●オフィシャル・ホームページ
篠﨑靖男オフィシャルサイト
●Facebook
Facebook

エリザベス女王の国葬が心に残るわけ…葬送行進曲に理性を破壊する仕掛け?のページです。ビジネスジャーナルは、企業、, , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!