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江川紹子の「事件ウオッチ」第212回

【江川紹子の提言】今も国民の過半数が評価しない「安倍氏国葬」を終えて

文=江川紹子/ジャーナリスト
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国葬の会場となった日本武道館に設けられた祭壇の様子/提供:ロイター、アフロ
10月1日・2日に実施された各紙の世論調査では先月27日に実施された国葬に対して「評価しない」「良かったと思わない」が過半数に達し、内閣支持率では、先月の朝日新聞社の調査に続き、読売新聞社でも不支持が支持を上回った。(写真は国葬の会場となった日本武道館に設けられた祭壇の様子/提供:ロイター、アフロ)

 国民の過半数が反対、もしくは否定的な評価をするなか、安倍晋三元首相の国葬が実施された。当初は6000人程度と見込まれていた参列者は、政府発表の速報値で4183人にとどまった。国内では約6000人に案内を発送したものの、4割にあたる2400人が欠席。特に元職を含む国会議員の欠席は、6割にのぼった。政府が国葬にこだわったことが、少なからぬ人たちの参列控えを招いたといえよう。そうまでして行った国葬は、いったい誰の、なんのための行事で、この国や国民に何をもたらしたのだろうか。

「国葬」の体を成していなかった安倍国葬

 安倍氏の葬儀は7月に終わっており、戒名も授けられている。憲法上の制約もあり、死後80日を過ぎて宗教色なく行われる今回の「国葬儀」は、葬儀というより、「お別れの会」である。午後2時に始まった式典は淡々と進んだが、参加者による献花に時間を要したため、終了時刻は予定を大幅に上回り、午後6時を過ぎていた。

「国葬という感じじゃなかったですね」

 そんな感想を語るのは、国葬に詳しい宮間純一・中央大学教授だ。

「国葬は国を挙げての儀式ですが、街に出てみると、人々は普通に過ごしている。街のなかに国葬が見えない。今の時代に、政治家の国葬のようなイベントをやるのは、もう無理なんだと思います」

 岸田文雄首相も当初、国葬を「敬意と弔意を国全体として表す国の公式行事」と述べていた。ところが、反対世論が膨らんでくるにつれ、「国全体」という表現は後退。政府は、過去の首相経験者の葬儀で行われてきた「弔意表明」を各府省に求める閣議了解を見送った。岸田首相は国会の閉会中審査で、「国民1人ひとりに弔意の表明を強制的に求めるものではない」「国民に喪に服すことを求めるというものではない」と繰り返した。永岡桂子文科相も、教育委員会や学校に対し、半旗の掲揚や黙とうによる弔意表明の協力は求めない、と明言した。全国戦没者追悼式や東日本大震災追悼式などのように、一般の人たちに対する黙祷の呼びかけもなかった。

 国民に弔意表明を求めない。協力の呼びかけすらできない。そんな状況で行われた今回の催しは、「国葬」の体を成していなかった。

 宮間教授によれば、明治から大正にかけて整えられた国葬は、天皇や国家に尽くした功臣を国全体で悼むことで、「国民を統合する文化装置」として機能した。戦時中は、戦意高揚のためにも利用された。

 海外の事例を見ても、先日のエリザベス英女王の国葬などは、人々にひとつの時代の区切りを印象付けると同時に、「国民を統合する文化装置」としての機能を果たしていた。また、昭和天皇の大喪の礼も同様だった、といえるだろう。しかし、安倍元首相のそれはどうだったか。宮間教授は、こう指摘する。

「対立と分断を生み出し、お金もかかる。負の要素しか生み出さなかった。政治家への国葬は、国民の間に(統合より)緊張関係を生む儀式だということが、今回のことでよくわかったのではないか。それに、ある政治家をすべての国民が一致して支持し、国葬にも賛成したりするような状況ができたら、それも怖い。政治家に対する国葬は、これで終わりにしたほうがいい」

 今回の国葬は、安倍氏の名誉や評価にとっても、プラスだったとはいえないのではないか。

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