国民の過半数が反対、もしくは否定的な評価をするなか、安倍晋三元首相の国葬が実施された。当初は6000人程度と見込まれていた参列者は、政府発表の速報値で4183人にとどまった。国内では約6000人に案内を発送したものの、4割にあたる2400人が欠席。特に元職を含む国会議員の欠席は、6割にのぼった。政府が国葬にこだわったことが、少なからぬ人たちの参列控えを招いたといえよう。そうまでして行った国葬は、いったい誰の、なんのための行事で、この国や国民に何をもたらしたのだろうか。
「国葬」の体を成していなかった安倍国葬
安倍氏の葬儀は7月に終わっており、戒名も授けられている。憲法上の制約もあり、死後80日を過ぎて宗教色なく行われる今回の「国葬儀」は、葬儀というより、「お別れの会」である。午後2時に始まった式典は淡々と進んだが、参加者による献花に時間を要したため、終了時刻は予定を大幅に上回り、午後6時を過ぎていた。
「国葬という感じじゃなかったですね」
そんな感想を語るのは、国葬に詳しい宮間純一・中央大学教授だ。
「国葬は国を挙げての儀式ですが、街に出てみると、人々は普通に過ごしている。街のなかに国葬が見えない。今の時代に、政治家の国葬のようなイベントをやるのは、もう無理なんだと思います」
岸田文雄首相も当初、国葬を「敬意と弔意を国全体として表す国の公式行事」と述べていた。ところが、反対世論が膨らんでくるにつれ、「国全体」という表現は後退。政府は、過去の首相経験者の葬儀で行われてきた「弔意表明」を各府省に求める閣議了解を見送った。岸田首相は国会の閉会中審査で、「国民1人ひとりに弔意の表明を強制的に求めるものではない」「国民に喪に服すことを求めるというものではない」と繰り返した。永岡桂子文科相も、教育委員会や学校に対し、半旗の掲揚や黙とうによる弔意表明の協力は求めない、と明言した。全国戦没者追悼式や東日本大震災追悼式などのように、一般の人たちに対する黙祷の呼びかけもなかった。
国民に弔意表明を求めない。協力の呼びかけすらできない。そんな状況で行われた今回の催しは、「国葬」の体を成していなかった。
宮間教授によれば、明治から大正にかけて整えられた国葬は、天皇や国家に尽くした功臣を国全体で悼むことで、「国民を統合する文化装置」として機能した。戦時中は、戦意高揚のためにも利用された。
海外の事例を見ても、先日のエリザベス英女王の国葬などは、人々にひとつの時代の区切りを印象付けると同時に、「国民を統合する文化装置」としての機能を果たしていた。また、昭和天皇の大喪の礼も同様だった、といえるだろう。しかし、安倍元首相のそれはどうだったか。宮間教授は、こう指摘する。
「対立と分断を生み出し、お金もかかる。負の要素しか生み出さなかった。政治家への国葬は、国民の間に(統合より)緊張関係を生む儀式だということが、今回のことでよくわかったのではないか。それに、ある政治家をすべての国民が一致して支持し、国葬にも賛成したりするような状況ができたら、それも怖い。政治家に対する国葬は、これで終わりにしたほうがいい」
今回の国葬は、安倍氏の名誉や評価にとっても、プラスだったとはいえないのではないか。
16億超もの国費をかけて行われた催しは、適切だったのか?
戦後に首相経験者のうち、吉田茂氏は国葬、佐藤栄作氏は政府と自民党に国民有志が加わった「国民葬」だったが、そのほか、9人の元首相が内閣・自民党合同葬で送られている。以上を参列者数が多かった順に並べ、今回の安倍氏国葬を位置づけてみると、以下のようになる。
三木武夫 約7000人
大平正芳 約6500人
佐藤栄作 約6400人
吉田茂 約6000人
小渕恵三 約6000人
福田赳夫 約5200人
岸信介 約5000人
橋本龍太郎 約4600人
(安倍晋三 約4200人)
宮沢喜一 約2700人
鈴木善幸 約2000人
中曽根康弘 約 640人
(数字は、いずれも当時の報道による)
参列者数は、必ずしも故人の評価を示すわけではない。在職中に死亡した人と引退してからかなり時間が経っての死去の場合では、参列者の数にも違いが出るだろう。その時々の社会の状況も影響する。中曽根氏が極端に少ないのは、コロナ禍で予定が延期されたことなども影響していると思われる。
とはいえ、安倍氏が憲政史上最長の在任期間を誇り、亡くなるまで現職の国会議員であり、政権与党の最大派閥の領袖であって、政府にも強い影響力を保っていたことを考えれば、この数字が記録として残るのは、やはり寂しいのではないか。
元職を含めた国会議員の欠席が多かったのは、法的根拠もはっきりしない国葬を、国会に諮ることもなく強行し、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との関係を調査もしようとしない現政権に対する異議申し立てといえるだろう。前例に従って内閣・自民党合同葬、あるいは国民有志がクラウドファンディングなどで集めた費用を加え、佐藤元首相のように「国民葬」という形にしていれば、ずっと多くの人が参列でき、安倍氏の面目も保てたのではないか。
確かに、会場の外に設けられた一般献花には長い列ができており、その数は2万5889人に上った。平日の昼間でもあり、決して少ない数ではない。しかし、驚くほどの多さ、というわけでもない。1998年に急逝したX JAPANのギタリストhideさんの葬儀には、ファン約5万人が参集した。2007年に亡くなったZARDの坂井泉水さん、2009年に病死した忌野清志郎さんの音楽葬にも、4万人以上が集まった。
他イベントの例を挙げれば、たとえばプロ野球読売ジャイアンツの今シーズンのホームゲーム入場者数は1試合平均3万2199人だった。マンガ家の小林よしのり氏は「コミケなら1日10万人が集まるのに、国民の巨額の税金を使ってやった国葬が、たったの2万人か!」とこき下ろした。こうした比較が適切かどうかは議論が分かれるだろうが、警備や海外要人の接遇費を含めて16億6000万円もの国費をかけて行ったのが、結局はごく一部の人々のための催しだったとすれば、適切な出費だったのか、疑問や批判が出るのは当然だろう。
弔問外交の成果も乏しく……国民の分断を煽った国葬強行
追悼献花に並ぶ人たちがいる一方、国葬にあわせて、国会周辺など全国各地で抗議のデモも行われた。「聞く力」をアピールする岸田政権に期待されたのは、安倍・菅政権の約9年間で社会にできた分断を和らげ、癒やすことだった。だが、今回の国葬強行は逆に分断を煽る結果になった。
それに、国葬に反対したのは、元々のアンチ安倍派だけでない。野党には必ずしも同調せず、デモに参加して声を挙げるなどの行動にも出ないサイレント・マジョリティが、国葬の決定プロセスや旧統一教会問題への政府・自民党の対応について疑問を持っていたことを、各種世論調査の結果は示している。そうした人たちの「自分たちの声はまったく耳を傾けてもらえなかった」という失望感は、国葬が終わればすぐに消失するとは限らない。ふわっとした政治不信、という形で尾を引く可能性も否定できないのではないか。
国葬そのものは、政治家としての安倍氏をひたすら称賛するイベントだった。同氏を「真のリーダー」(菅義偉前首相の追悼の辞)と仰ぐ人々を満足させ、仲間内の一体感は強化されただろう。反対の声に負けずに国葬を実施した岸田政権への評価も一時的に上がったかもしれない。おそらく、国葬にこだわった岸田首相にも、安倍氏の「岩盤支持層」を取り込み、政権を安定させる思惑はあったろう。しかし、そうした政治的効果がどれだけ長続きするのかは不明だ。
物価高騰や急激な円安、上がらない賃金などへの対策やエネルギーの安定供給など、今の日本は難題をいくつも抱えている。それに取り組まなければならない政府が、国葬を巡って国民の信頼や支持を失ったのは、かなり残念で心配な話だ。
国葬がもたらした分断、さらには事件以降明るみに出た旧統一教会を巡る問題は、海外のメディアでも広く報じられた。G7の首脳が1人も出席しなかったことなど、この国の国際的な立場の沈下を示す事実も伝えられた。対外的には、日本にとってプラスの効果は何もなかった。
岸田首相は、国葬参列のために来日した38の国・地域・国際機関の代表と相次いで会談し、「弔問外交」効果を強調してみせる。だがそれは、国葬ではなく、内閣・自民党合同葬でもできたことだ。それに、ハリス米副大統領を除けば、会談時間は10~30分と報じられている。通訳が入るので、正味時間はその半分ほどだ。その費用対効果はいかほどだろうか。
また、自民党の萩生田光一・政調会長は、国葬の最大の意義を、その実施後になってこう述べた。
「民主主義の根幹となる選挙のさなかに、総理経験者がテロによって殺害された。こういった暴力に屈しないことを国として国内外に示す意味で、極めて重要な意義があった」
岸田首相も国葬実施の理由のひとつとして挙げていたが、まったく意味不明だ。国葬でなく、内閣・自民党合同葬であれば、日本は暴力に屈したことになるのか? それはなぜか?
暴力に屈しない姿勢は、被告人を適正な手続で裁き、有罪の場合は適切な科刑を行い、国会をきちんと開いて必要な議論を行うなど、司法、立法、行政がその機能を日々、適切に果たしていくことで示せばよいだけの話である。そして、政治家が国民のなかに入って、さまざまな声を聞いたり、語り合う場を大事にすることだ。
なかには、旧統一教会問題への対応を、「容疑者の思うつぼ」などと述べて忌み嫌う人がいる。まったく的外れな意見だ。テロであろうとあるまいと、人々の命や社会の安全などに影響を与えるような事件が起きれば、できるだけ早く原因を究明し、再発防止のための対応策をとるのは当たり前ではないか。
旧統一教会との強いつながりが指摘されている萩生田氏は、民主主義への懸念があるのなら、まずは自身と教団との関係をつまびらかにすべきだ。この問題が衝撃的なのは、国民が知らないうちに、特異な価値観に支配された団体が、与党の有力政治家と密接な関係を持っていたことが明らかになったからだ。しかも関係は、多くの議員に広がっていた。団体の価値観が、国民の目に見えないところで、現実のさまざまな政策にも影響を与えていたのではないか、という懸念が広がっていることを、もっと重く受け止めてもらいたい。まさにそれは、日本の民主政治への信頼が問われている問題だ。
国葬「評価しない」が過半数超……今後の検証に必要なのは
話を国葬に戻す。二階俊博元自民党幹事長は、国葬について「終わったら、反対していた人たちも必ずよかったと思うはず。日本人ならね」と語っていた。しかし、国葬後に行われた各社世論調査を見れば、過半数が否定的な評価を維持している。
実際、こうして振り返ってみても、国葬を実施した意義はほとんど見いだせない。
何もそれは、安倍氏だから、という属人的な理由からではないだろう。今後、安倍氏のような存在感のある政治家が現れたとしても、その人が「強いリーダー」であればあるほど、支持者と同時に批判者も生み、国葬となれば同じ対立が繰り返されるのではないか。
先に宮間教授が指摘していたように、ひとりの政治家を国家国民を挙げて追悼する「国葬」というイベントは、もはや時代にそぐわないように思う。
岸田首相は、有識者などから意見を聞き、今回の国葬を検証すると言う。また、野党やさまざまな論者から、国葬実施の基準やプロセスを定めた法整備を求める声があがっている。
しかし、たとえ一定の基準を定めても、1人ひとりの死の形は異なる。今後の社会の状況も、今からすべて予見することはできない。結局は、岸田首相が「その時々、都度都度、政府が総合的に判断し、葬儀形式を判断する」と述べたように、時の政権に判断が委ねられ、恣意的な判断を可能にし、納得しない人々との対立を生むことになろう。
対立や分断を生んでも、やらなければならない政治課題はあるだろう。しかし、一政治家の葬儀やお別れの会は、そうした性質のものだろうか。
今回の教訓を踏まえるならば、国会では「今後も国葬を行う」という前提で議論するのは違うように思う。逆に、「今後は政治家の国葬は行わない」という方向で話し合い、なんらかの申し合わせを行う努力をしてもらいたい。