スポーツや勉強、あるいは仕事。あまりにも常人とかけ離れて優秀な人を見たとき「何を食べたらそんなふうになるの?」という気持ちになることがある。
天才とも称される、歴史に名を刻んだ偉人たちも同様。彼らは「一体、毎日、何を食べたらそんなふうになる」のだろうか? 人間の身体は日々の食事からつくられており、食があらゆる活動の原動力となっている。
「何を食べたらそんなふうになるの?」偉人たちが愛した食事たち
そんな偉人の胃袋に注目したのが『偉人メシ伝: 「天才」は何を食べて「成功」したのか?』(真山知幸著、笠間書院刊)だ。本書では、著述家、偉人研究家の真山知幸氏が、偉人の職業別にその食の傾向を探り、政治、科学、文学、絵画、映画、漫画、江戸文化など、様々な時代、分野で活躍した偉人たちの食にまつわるエピソードを集めて紹介する。
イタリア全盛期のルネサンスで活躍し、画家として「最後の晩餐」や「モナ・リザ」などの名作を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチ。イタリア中部のトスカーナ州に住む人はとにかく豆料理が好きなことで有名で「マンジャ・ファジョーリ(豆食らい)」と呼ばれていた。ダ・ヴィンチも「豆食らいのトスカーナ人」の一人で、「ミネストラ」というスープ料理が好物だった。作り方は簡単で、ズッキーニやニンジンなどの野菜や豆に、塩やコショウを加えて煮詰めたというもの。
片時もメモを離すことがなかったダ・ヴィンチは、絵画や建築のアイデア、家計や人間関係といった些細なことまで書き記し、その量は5万ページにも及んだという。67歳で命を落とす直前までメモを書き続けたダ・ヴィンチが最後に記したメモが「スープが冷めるから」だった。
化政文化を代表する人物の一人が、浮世絵師の葛飾北斎だ。北斎の部屋はいつも荒れ放題で、住めないくらい汚くなったら、家ごと引っ越してしまう。そのため93回も転居を経験している。
引っ越しを繰り返した北斎は、居酒屋の元祖ともいわれる煮売り居酒屋の隣に住んだこともあった。3食とも取り寄せていた時期もあり、酒を飲まない北斎は食事はデリバリーでさっさと済ませて、作品に取りかかっていた。
そんな芸術以外のことには無関心だった北斎にも好物があった。それは蕎麦だ。腕がぐったりして目が疲れると、蕎麦を2杯食べて寝る。その習慣は死ぬまで続いたという。
偉人たちは、何を食べ、どんな食習慣を持っていたのか。それらを知ることで、食の価値観だけでなく、人生観や密かなこだわりまで見えてくる。「食」から知ることで、偉人たちをより身近な存在に感じられるかもしれない。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。