「日本の寿司職人がアメリカに渡り年収1000万~2000万円を得た」というような話がよく聞かれる。果たして現実的にはあり得る話なのだろうか。そこで今回は、東京すし和食調理専門学校の学校長を務める渡辺勝氏に取材。日本人の寿司職人がアメリカに渡ると高給を稼げるという話は本当なのか、また日本と欧米でこれほどの収入格差を生む理由はなんなのかなどについて、解説してもらった。
欧米では日本の平均年収の倍以上がラクに稼げる?
「実際に1000万円から2000万円ほどは稼げると思います。これはアメリカだけでなく、ヨーロッパ諸国も含めた欧米という視点で見ても同様ですね。私は今ロンドンに寿司学校を開校予定で、イギリスに何度も足を運んでいるのですが、向こうで働く寿司職人の方々から話を聞くと、ほとんどの日本人寿司職人は成功しています。年収1000万円以上を稼いでいる人も結構いるというのが実情です。
日本の調理専門学校で数年学び、寿司職人としての基本スペックだけが備わっている日本人であっても、年収700万円ぐらいを稼ぐのはそう難しくなく、むしろそこが最低ラインという感じですね。専門学校を出た後に日本のお店で数年修行していれば、欧米で1000万円から2000万円という年収が現実的になってきます。お店で数年修行した程度では、日本国内の寿司業界ではまだまだ半人前といわれるレベルですが、欧米に行くととても重宝されるということです」(渡辺氏)
日本国内の寿司職人の平均年収は欧米とは対照的だ。
「日本で寿司職人を目指して業界入りしたときの一般的な初任給は、額面で月給20万円程度でボーナスなし。福利厚生も最低限というのが一般的ですね。そのため、年収でいうと200万~300万円程度が普通でしょう。そこから年数を重ねて一人前の職人になった場合の平均年収が、450万円前後という感じでしょうか。これが国内の寿司職人の現状ですね」(同)
なぜ欧米で日本人の寿司職人は引っ張りだこなのか
では、なぜ欧米に行くと日本人の寿司職人が高い年収を得られるのだろうか。
「まず前提として、寿司職人だから特別稼げるというわけではなく、日本の平均年収が欧米諸国と比べて低いというのが大きな理由として挙げられます。日本の最低賃金は2023年5月現在、一番高い東京でも時間給で1072円となっています。仮に8時間労働で計算すると1日8576円の稼ぎ。これで週5日働いても月収は19万円程度です。一方イギリスのロンドンの最低賃金は11.08ポンド、日本円にして約1900円となっています。8時間労働で計算すると約1万5000円の稼ぎとなり、これで週5日働くと33万円程度になりますので、その差は歴然です」(同)
また、欧米ではチップ文化が根付いており、西洋料理店に比べてカウンターで直接お客に応対する寿司店などでは、料理人に対して給与以外にも非課税の副収入もあるそうだ。そういった日本と欧米の賃金格差だけではなく、実際に日本人の寿司職人が欧米で優遇される理由があるという。
「以前から日本食は欧米で浸透して愛されていましたが、近年は特に欧米で日本食が大ブームになっているんです。肉食をベースとした欧米食はどうしても高脂肪・高糖質になりがちですが、近年は魚を中心とした和食が健康によく、味も良いことが知られ、多く食べられるようになってきています。となると、おのずと寿司店が増えていくわけです」(同)
確かに、農林水産省が発表したデータを見ると、海外の日本食レストランの出店数は、06年に約2万4000店だったのが、21年には約15万9000店に増えている。また、コロナ禍で多くの飲食店が閉店に追い込まれているなか、海外では日本食レストランは右肩上がりに増えている。
「海外資本の現地のお店が増えていることも理由の一つですが、海外市場を狙った日本資本のレストランが増えているということも関係しています。日本のチェーン店が積極的に海外進出しているんです。こうした動きはコロナ禍で抑制されていた部分も大きいので、制限が解かれた今後はもっと顕著になっていくでしょう」(同)
確かに、国内でも人気の「元気寿司」などは22年9月末時点で海外に204店舗も出店していることを見ると、日本の寿司チェーンの海外進出は勢いを増しているようだ。だが、これらに勝る一番大きな理由が、欧米における日本人寿司職人の人手不足なのだとか。
「意外に思われるかもしれませんが、料理人を目指す調理専門学校在学生の就業実績を見ると、国内における寿司職人の数は、イタリアンやフレンチなどの料理人に比べると格段に少ないです。寿司は日本の料理なのに、寿司職人よりもヨーロッパ料理の料理人のほうが多いという逆転現象がずっと続いています。もちろんこの比率が直接実際の寿司職人の数に直結するわけではありませんが、国内でも寿司職人が少ないのに、ましてや渡航して欧米で寿司職人になろうとする人となると、その数はもっと少なくなるのではないか、という推測はできると思います。それに対して、欧米で寿司職人を必要としている寿司店はごまんとあるため、欧米では日本人の寿司職人の取り合いが起きているというわけです。そして、こうした傾向が特に強いのは本物志向の高級寿司店なんです。
もちろん、現地の欧米人が寿司の作り方を学んで寿司店で働いているケースも多いですが、そうした人が勤めているのは主に大衆店。欧米では1980年から1990年ごろに一度日本食のブームが起きて、チェーン店の日本食レストランが爆発的に増加していました。そこで現地の欧米人がたくさん働くことになった歴史があります。ですから欧米の寿司店からするとアジア人、とりわけ日本人が店頭に立つことで、大衆店とは一線を画したお店の雰囲気作りができるわけです」(同)
海外で稼いでから日本に戻ってくるルートもありか
日本人の寿司職人が欧米で成功しやすい理由として、欧米は独自に発展したロール寿司がメインになっているため、握りのスキルがそこまで要求されないという点もあるといわれている。
「プロの間では握り寿司より巻き寿司のほうが技術的なハードルが高いとされているので、その指摘は半分、的外れですね。ただ、欧米は日本よりスキルを求められないという部分に関しては、納得もできます。多くの欧米人にとっての寿司は、現地で入手可能な食材を使ってある程度形になっていればそれで十分。むしろ、日本の高級寿司店の職人が持つ繊細かつ芸術的なスキルは、欧米ではオーバースペック気味だと感じるほどです」(同)
では今後、日本の寿司職人の欧米への人材流出が懸念されているのだろうか。
「難しい問題です。個人的には稼げない日本でくすぶっているよりかは、一念発起して欧米で夢を掴むほうが健全だと考えていますが、日本の料理人たちは働きながら修行するという感覚が強く、いきなり海外で就職しても腕が磨けないと考える傾向が多い印象です。確かに言いたいことは理解できますが、ただでさえ職人を目指す人口が激減し、文化の存続が危機に陥っているのが現状です。ですから寿司業界全体で、そこまで伝統やプライドにこだわらず、一度海外に出て大金をつかんで経営戦略を学び、その後、学び直し的に日本に戻ってくる寿司職人のルートが、もっと確立されていったほうがいいのではないかと思います」(同)
(文=A4studio、協力=渡辺勝/東京すし和食調理専門学校・学校長)