世界に誇れる日本のアニメーションだが、その制作現場の労働環境は薄給かつ過酷というイメージは以前から根強い。たとえば、少し前にTwitter(現X)に投稿された下記の一連のツイートが話題を呼んでいた。
<大学時代にそこそこ大手のアニメ制作会社の就職説明会に参加したことがあって。 会社側から「歩合制で最低保証が月5万、でも1年目はそれしか稼げないことがほとんど」という説明があり、それに対して同席した人から「1年目はバイトしつつ働く形ですか?」って質問が。 なんて返ってきたと思う?>
<「いえ、バイトなんてしてたらいつまでも腕が上がらずに5万しか稼げないままなので、安定して稼げるようになるまでは仕事以外の時間は自主練に充ててください」 「その間の生活費は、親御さんに出していただく等して凌いでください」 ……って返ってきて>
<会社が社員の生活に対して「親に金出してもらってください」って平然と言い放つとか、マジでマトモじゃねぇ業界なんだなって愕然とした思い出>
このツイートで語られているエピソードが何年前のものなのかは不明だが、はたして近年のアニメ制作現場は、状況が改善されているのだろうか。そこで今回は、日本アニメーター・演出協会(以下、JAniCA)の代表理事で、アニメ監督でもある入江泰浩氏に、近年のアニメーターのリアルな経済事情を聞いた。
昔よりも改善されて最低保証のある制作会社が増えた
「年々改善されてきてはいますが、アニメ業界の全体を見渡せば、ツイートにあったような状況は、今もあるでしょう。特に経験が浅いアニメーターの場合は、仕送りなどの生活の支援を親御さんにしてもらうことを前提にしている現場が、現在でもあると思います。
業界の大半のアニメーターは個人事業主として業務委託契約で、例えば動画マンだと1枚数百円と決められた単価の絵を何枚描いたかで、月収が決まっていきます。会社員のように月々決まったお給料がもらえるのではないということです。そうなると、まだ不慣れな新人のアニメーターや絵を描くのが速くないアニメーターは、おのずと収入が少なくなってしまいます」(入江氏)
ただ、ツイートでは「最低保証が月5万円しかない」と書かれていたが、それでも昔よりは改善されてきているとのこと。
「私が業界に入った30年前の時代は最低保証というような制作会社側の仕組みもなく、描く枚数をこなせないアニメーターは月収が5万円にも満たないということも多くありました。ですから月5万円だとしても、最低保証が付いているというのは、昔に比べたら改善されているともいえます。また30年前頃は、動画を1枚描いて単価が100円というのが普通でした。近年は1枚200円や300円という単価の作品が増えています。
アニメ制作会社側の立場から考えると、新人の育成にもコストが掛かっています。そのため、せっかく新人のアニメーターを育成しても、生活苦を理由にすぐに辞められるのは困りますから、まだ仕事ができない新人にも最低保証の報酬を支払うという流れができたのでしょう。ただ、それで全て解決したわけではないと感じます。代わりに密度の高い、線の多い作品が増えていますから」(同)
ここでアニメーターという職業について、簡単に説明しておきたい。アニメーターとはアニメーションの1枚1枚の絵を描いていく仕事ではあるが、大きく原画担当(通称・原画マン)と動画担当(通称・動画マン)に分けられる。原画マンはアニメーションの基準となる絵を描き、動画マンは原画と原画の間をつなぐ、“中割り”と呼ばれる絵を描くのが仕事である。基準となる原画よりも、その間をつなぐ動画のほうが大量の枚数を要することもあり、アニメーターの内訳としては、圧倒的に動画マンの割合が多いのだ。
「ほとんどの新人アニメーターはまずは動画マンからキャリアをスタートすることになります。スキルが上がって速く絵を描けるようになれば、月間でこなせる枚数も多くなりますので、新人の頃よりは収入を得られるようになるでしょう。ただ、それまでは訓練期間のようなもので、親からの支援などがないと生活ができない環境が続くとも言えます。そのため動画マンのなかにはなかなか生計を立てられず、アニメーターを辞めてしまう人も多くいるのです。
また、誰でも動画マンから原画マンになれるわけではなく、原画マンになれるのは一握り。原画マンとなってからは、原画マンとして腕を磨き続ける人もいれば、演出や監督にステップアップする人もいます。もちろん、あえて原画マンにならずに、動画マンの仕事に誇りを持って、一流の仕事をする動画マンでい続けるという人もいます」(同)
才能とスキル次第で年収1000万円以上を稼ぐことも
一般的な会社員と違って、アニメーターは職人やアーティストといった側面もある職業。誰でもアニメーターとして食べていけるわけではないのだろう。そのため、生計を立てられるだけ月間の描く枚数を増やせるかどうかは、アニメーターを生業にする最低限の才能があるかどうか、実質的なふるいに掛けられているようなものなのかもしれない。
少し古い資料になるが、JAniCAがまとめた『アニメーション制作者実態調査報告書2019』に、アニメーターからプロデューサーまでアニメ業界のさまざまな役職の年間収入(2017年時)をまとめた調査データがある。これによると300万円以下が41.1%という結果。ちなみに200万円以下で見ると22.8%、100万円以下で見ると8.3%という結果になっている。
一方で、300万円~500万円は27.5%で、500万円以上は30.5%。原画マンや演出、監督になると能力に応じて高い報酬を得ている人もたくさんおり、多くはないが年収1000万円を超える人も現れ始めているようだ。
業界に入ったばかりの新人動画マンは、なかなか生計を立てていくのは難しいようだが、キャリアを積んでいけば、スキルに見合った報酬を得られ、高収入といわれるレベルの年収を得ることもできるとのこと。入江氏が業界入りした30年ほど前に比べると、動画マンの1枚の単価が上昇したり最低保証の報酬が出るようになったり、原画マンや演出、監督になると年収1000万円以上の高収入を得られるケースもあるなど、業界全体の収入事情は徐々に改善されてきているということだろう。しかし、これまでの労働環境や収入事情の悪さが一因となってか、アニメーターの成り手不足が深刻化しているという。
「30年前の肌感覚としては、動画マンの9割は国内の日本人で、残りの1割を海外に発注するという割合だったと記憶していますが、現在は日本人の動画マンの割合がどんどん減ってきており、海外に発注する割合のほうが多くなってしまっているのです。これはスケジュールの問題で、『海外に発注したほうが早いから』という状況が続いて国内の仕事が少なくなり、仕事がないから国内のキャパが縮小して、さらに海外に頼って……という負のスパイラルが20年続いた結果だと思います。
そして、先ほどお伝えしたとおり、アニメーターは動画マンからスタートして、経験を積んだ後に原画マンにステップアップするというキャリア形成が一般的。ですが、日本人の動画マンが激減してしまっているということは、アニメ業界の将来を担う優秀な原画マンなどが国内から生まれにくくなっているということでもあります。このように未来の原画マンや演出、監督の担い手となりえる動画マンが減ってしまっているということは、日本のアニメ業界にとっていいことではありません」(同)
もちろんアニメ業界もそんな由々しき事態に、指をくわえて見ているだけではなく、入江氏によると「国内の優秀な新人たちを確保して、動画マンから原画マンに育成できるように、新人が辞めなくてすむ環境を整えていく努力を始めた制作会社がこの数年で増えた」とのことだ。日本が世界に誇るアニメ産業が衰退していかないよう、優秀な作り手が育ってくれることを祈るばかりである。