「水素を燃料とするマシンで24時間レースに参戦します」
トヨタ自動車代表取締役であり、自らステアリングを握るマスタードライバー「モリゾウ」こと豊田章男氏が、自らの口で大胆なレースプロジェクトを発表したのは4月のことだ。それからわずか1カ月後の5月22日、それは現実になった。
スーパー耐久シリーズ2021の第3戦、「NAPAC 富士SUPER TEC 24時間レース」開催当日、プロジェクトの舞台になった富士スピードウェイには多くのマスコミが取材に訪れていた。モータースポーツ誌や自動車媒体はもちろんのこと、サーキットに不慣れな一般紙も多く訪れており、注目の高さを物語る。ステアリングを握るのが、トヨタのトップで自動車工業会の会長でもあるという話題性だけでなく、「水素を燃料とするレーシングマシン」という特異性も、注目の理由だろう。
もっと深く透察するならば、盲目的にEV(電気自動車)化に突き進む世情に対してのアンチテーゼ、すなわちカーボンニュートラルへの施策はEVだけでなく水素にも可能性があることを証明し、本筋を見極めようという豊田氏の気持ちでもあったのだと想像する。
筆者はそのレースに参戦しており、コクピットの中から極めて接近しながら観察することができる立場にいたことは幸運だといえよう。
水素を燃料とするマシンは、トヨタ「ミライ」のような燃料電池車ではない。水素を大気中の酸素と化学反応させて発生した電力でモーター駆動するシステムではなく、「カローラ」に搭載した内燃機関に、ガソリンの代わりとして水素を注ぐのだ。したがって、走行は無音ではなく、ごく自然にエンジンサウンドも響く。重量級のバッテリーを搭載する必要がないといっても、消して軽くはないボディをグイグイと加速させていく。
一周のラップタイムでいえば、もっとも排気量の少ないクラスであるマツダ「ロードスター」(1.5リッターガソリンエンジン車)と同等のタイムである。レース前のテストで「最高速度は低いですよ」と豊田氏本人が口にしていたものの、想像超える速さである。善戦したといえよう。
24時間レースの基本的な戦略は、燃料を満タンでスタートし、燃料タンクが空になるとともに給油のためにピットイン、新たな燃料を満タンにしてドライブを続けるというものだ。その様子からすると、小排気量車は1時間30分以上の連続走行を繰り返しているのに対して、水素燃料カローラは約30分ごとのピットイン。ガソリンマシンが給油を30秒(レース用クイックチャージシステム)ほどで完了させるのに対して、水素の充填には6分ほど費やしていた。
ミライを街の水素ステーションで充填するのに費やすのは、ほぼガソリン給油と同等か3分程度だから、おそらく安全を考慮して丁寧に水素充填していたに違いない。というわけで、レースで勝利するには、ラップタイムと給油時間という点でハンディを背負っているのだが、それでもエンジンに目立ったトラブルはなく見事に完走した。
我々がガソリンエンジンで戦うマシンのなかでも、エンジントラブルで戦列を離脱するマシンは少なくない。それを思えば、世界でも稀な水素燃料モデルが初参戦にもかかわらず、それがもっとも過酷な24時間レースを無事に完走したことは驚異に思える。同時に、水素を燃料とする内燃機関の可能性を感じさせたのである。
大胆な仮説で恐縮なのだが、もしこれがEVでの参戦だとしたら、ラップタイムはさらに遅かったであろうし、航続可能距離もさらに短く20分ほどでピットインを繰り返していた可能性もある。ガソリンエンジンの給油の代わり、つまりバッテリー充電には30分以上、もしくはバッテリー交換に費やす時間を考えれば、この水素を燃料としたカローラのほうが速いという計算になるのだ。
水素燃料の可能性を披露したという点で、今回の24時間レース参戦の意義は大きい。
(文=木下隆之/レーシングドライバー)