今や世界一の時価総額となった米アップル。創業者であり、一度は同社を追放されながらも復帰後に「iPhone」「iPod」「iPad」 などの大ヒット商品を生み出し「天才」といわれたスティーブ・ジョブズ氏が、20年間認めたがらなかった経営戦略がある。
ジョブズ氏は、人々に感動を与え究極の美を持った製品開発に徹底的なこだわりを持った、ものづくりの職人に近かった。そうした点が、彼が日本でも絶大な支持を得ている理由のひとつだろう。「良いものをつくればヒットする」――。いわばメーカー発想だったといえる。
しかし残念ながら、素晴らしい製品を生み出すこととビジネスとして成功することは同義ではないことを実証したのもまた、ジョブズ氏だった。アップルはPCメーカーとして熱狂的なファンがいる一方で、極めて独自路線・自前主義が強い会社だったため、PC市場でも10%以下のシェアしか獲得できていなかった。これは、アップルが常に「マイクロソフトとも他のどの会社とも違うユニークな会社」を目指したことと表裏一体ともいえる。
1976年、ジョブズ氏はスティーブ・ウォズニアック氏と共に初期のホームコンピュータ「Apple 1」、その後「Apple 2」を開発した(数字の正式表記はローマ数字)。Apple 2は大成功を収め、自宅からスタートしたアップルは、米シリコンバレーを代表する企業としてサクセスストーリーを築いた。1980年の株式公開時に2億ドルもの巨額を手中にし、25歳で米フォーブス誌の長者番付、27歳で米タイム誌の表紙を飾った。
しかし、85年には製品開発にこだわるあまりに多額の資金を投入し、製品開発も遅れに遅れてしまった結果、アップルを追放されてしまう。しかしその後約10年を経て、再び96年に瀕死のアップルに復帰した。
iPodヒットの理由
アップルは98年にPC「iMac」で大ヒットを飛ばし、01年にはiPodとiTunesを世に出した。約1000曲もの楽曲を小さな音楽再生機iPodで持ち運べるコンセプトは、世の中に衝撃を与えた。当時違法な音楽のインターネット配信に頭を悩ませていた音楽業界をアップルは説得しながら、同業界への参入に成功した。しかし、実際の売り上げの伸びは発売当初だけで、その後低迷したのだった。
iPodへの楽曲ダウンロードは、PC上でのiTunesというダウンロードプラットフォームから行うのが基本だったが、アップルは自社PC経由でしかiTunesも利用できないようにしていたからだ。同社はそれにより、消費者をマイクロソフト製OSである「Windws」搭載PCからアップルのPCへ乗り換えさせようと考えていた。