しかし現実に起きたことは逆だった。当時iPod類似の音楽再生機はソニーを含めて4社ほどあったとされていたが、そもそもアップルのPCはシェアが10%以下だったため、利用できる人が限られ、熱狂的なアップルファン以外には訴求できなかった。
当時アップル社内では、Windws対応のPCでも利用できるようにすべきとの声が上がったが、ジョブズ氏は当初頑なにこれを拒否した。思い通りの素晴らしい製品をつくるためには、すべて垂直統合的に自社で一貫して手掛けることが不可欠だと考えていたからだ。確かに他社製品に依存することは理想通りの製品開発の足かせになることが多々あるため、メーカー発想の視点としては当然の主張だった。
しかし現実には、アップル2がヒットしたひとつの要因は、米パーソナルソフトウェアが作成した世界初の表計算ソフトVisiCalcによって、それまでホビー商品だったPCがビジネスユースとして認知されたことが大きかった。つまり、アップルのPCのヒットは、実際には多くの他社開発ソフトのおかげでもあったのだが、ジョブズ氏はなかなかそれを認めようとはしなかった。
しかし、iTunesのWindws対応について、最終的にジョブズ氏は容認することになった。その際、「勝手にしろ。責任は取れ」といって同氏は会議室を出て行ってしまったというエピソードもある。
こうしてWindwsでもiTunesが使えるように他社が制作したソフトをリリース
したが、操作性が悪く、評判は芳しくなかった。するとジョブズ氏は自ら号令をかけて自社で改良をしたソフトを出し、ここからiPod は爆発的なヒットになっていった。iPod自体が素晴らしい製品であることには疑いの余地はないが、ビジネスとしての成功は、iTunesという音楽ダウンロードプラットフォームをオープン化したことで初めてもたらされたのだ。
その時、ジョブス氏が20年間もかかってようやく認めたのがプラットフォーム戦略【註1】だといえる。本連載前回記事で触れたように、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏がいち早くプラットフォームの力を見抜いていたのとは対照的だ。ゲイツ氏がアップルのOSでも自社のソフトを動かせるようにしてシェアを拡大していったのは、周知のとおりだ。
日本メーカー、惨状の背景
しかし、ジョブズ氏亡き後のアップルは、今でも自前主義・秘密主義が強い会社だ。iPhone アプリもアップストア以外ではダウンロードできない。Apple Watchも基本的にiPhoneと連携して使うスタイルになっている。シェアの拡大よりも高級品化・高収益化を目指す経営戦略を優先しているといえよう。実際、スマートフォン(スマホ)向けOSのシェアも、米グーグルのアンドロイドに奪われている。