「ちゃんとした帝国ホテルとか龍名館とかいうのなら又いいけど」
龍名館は帝国ホテルと同列の扱いをされていたのである。
ホテル龍名館東京のルーツは1909(明治42)年に遡る。本家が、分店として呉服橋(中央区八重洲)に「旅館呉服橋龍名館」を開業したのが始まりだ。同旅館は63(昭和38)年に「ホテル八重洲龍名館」に改称した。その後、老朽化のため建て替えることとなり、2009年「ホテル龍名館東京」としてリニューアルオープンした。内装には世界的なデザイナー、ジョー・リベラを起用。和のおもてなしの心と西洋のモダニズムを融合させた洗練されたデザインで、高級志向の客の取り込みを狙った。
低迷脱却
しかし、開業直後の業績は低迷した。前出・濱田氏が当時をこう振り返る。
「09年のオープン時に人事を刷新しました。支配人を外部から招き、大卒社員を初めて10名規模で採用しました。そのころ、大手のホテルがリニューアルのため閉館中で、弊社に3人の方が出向で来てくれました。ところが、稼働率は低迷して、最悪時は20%台。フロントのスタッフは、することがないようなありさまでした。そうした中で、出向の3人の方たちが新人たちを徹底的に鍛えてくれたのです。プロ中のプロに人材育成をお願いするとともに、ホテル運営の在り方も見直しました。予約、広告のウェブ展開を強化し、社員全員がフロント業務から企画、販売まで兼任して行い、プランを出し合うというマルチスタッフシステムに移行していったのです」
ホスピタリティの面でも改善を続けた。高反発マットレスパッド「エアウィーヴ」やパナソニックの「睡眠環境システム」をいち早く本格導入するなど、睡眠環境の整備に注力。客室のスリッパと足指パッドに持ち帰り用の袋を付けるといった、顧客の声を反映したサービスを次々と実現させていった。コーヒーマシーンやWi-Fiの導入も早かった。
東京駅周辺で同クラスのホテル競争が激しくなる中で、差別化のために全スタッフが一丸となって改革・改善に取り組んだ。その結果、開業3年目の12年度は宿泊売上高が2割以上もアップし、客室平均単価も大幅に上がった。
ビジネスホテル部門で全国第1位
改革は、業績の大幅向上のほかに、龍名館に大きな名誉をもたらした。「日経トレンディ」(日経BP社)の「2012年ホテルランキング」ビジネスホテル部門で全国第1位に輝いたのである。それだけではない。『ミシュランガイド東京』に12年版から4年連続で掲載されている。