「東芝のような大手の上場企業が決算を上程できないまま総会を開くという事態は、これまで聞いたことがない」(東京証券取引所関係者)
積極的に企業統治に関する最先端の制度を導入してきた東芝は、なぜ正常な内部統制が機能しなかったのか。
「『仏つくって魂入れず』ではないが、どんなに進んだコーポレートガバナンスの制度を導入しても、中身が日本固有のムラ社会的な体質のままで、実態は変わらない日本企業が多い」(経営コンサルタント)
高リスクだった事業構造
東芝の不適切会計のきっかけをつくったのは、西田社長時代だといわれている。
西田氏は「10年遅れの新入社員」から社長に上り詰めた異色の経営者だ。東京大学大学院時代にイラン人女性と結婚、そのままイランに渡り、東芝と現地法人の合弁会社に就職。そこで才能が評価され、東芝に入社したのは31歳のとき。92年に東芝アメリカ情報システム社長に就任すると、業績不振だったパソコン事業を1年で立て直し、95年にはパソコン事業部長、03年に執行役専務に就任してからは赤字に転落したパソコン事業をわずか1年で黒字化、その手腕が当時の岡村正社長に買われて05年6月、社長に就任した。
社長就任後は積極戦略に舵を切り、06年には原子力事業の実質トップだった佐々木氏とともに米ウエスチングハウスの買収を成功させ、原子力発電プラントの世界3大メーカー入りを果たす。
一方で、08年にはソニーのブルーレイとの戦いで劣勢に立たされたHD・DVD事業から撤退し、約1兆7000億円を投入してNANDフラッシュメモリ工場を建設。その後、原発事業と半導体事業が東芝の成長戦略の柱となっている。
「原発などのインフラ開発は、資金が長期間寝てしまうし、政治的なリスクやイベントリスクも大きい。半導体事業もボラティリティ(浮き沈み)の高い事業で、大きな資金を必要とする。そうしたリスクの高い事業を2つも抱えるというのは、極めて危険な構造といえる。例えば、米GEもボラティリティの高い事業を抱えているが、安定的なキャッシュフローを生む事業も抱えている。取締役会では当然、そうしたリスクが議論されるべきだが、十分に検討された形跡が見えない」(金融に詳しい経営コンサルタント)
東芝の方向性を大きく変えたのはリーマンショック(08年)と東日本大震災(11年)だ。リーマンショックで半導体を中心とした電子デバイス部門、デジタルプロダクツ部門、家庭電器部門などの業績が大幅に悪化し、東芝は09年3月期、2329億円の営業赤字に転落。その年の7月、西田氏は責任を取るかたちで社長を退任して会長に就任した。