後任社長には原子力事業のトップを務めていた佐々木氏が就任。西田氏の積極路線から構造改革路線に転換し、3000億円を上回る固定費の削減を行い、09年度にはV字回復を実現した。
西田氏と佐々木氏の確執
ところが西田氏と佐々木氏の蜜月は、いつまでも続かなかった。
11年の東日本大震災による東京電力福島第一原発事故で日本中の原発が停止。東芝の原発事業も大打撃を受ける。
「これ以降、国内の原発はすべて停止し、新規の建設もなくなったため、国内の原発事業の収益はほとんどなくなってしまった。おそらく東芝はその原発事業の穴をインフラ関連事業全体で埋めるために、不適切会計に手を染めることになったのではないか」(大手総合電機メーカーに詳しい事情通)
確かに11年以降、原発事業が大きく収益を落としているにもかかわらず、原発を含むインフラ事業全体としては相変わらず安定した収益をあげていた。
「東芝は事業部が一つの派閥になっており、会社全体の利益よりも事業部を守ることが優先されるような構図がある」(同社関係者)
そして佐々木氏は、デジタルプロダクツ事業や電子デバイス事業を再編・統合し、社会インフラ事業へ経営資源をシフトすることで難局を打開しようとした。こうした動きに対し西田氏は、佐々木氏が自身の出身母体を守り、今後の事業の芽を摘んでいるとして、憤りを感じていたようだ。
当時、西田氏は週刊誌の取材に応えて、「カットすべき無駄なコストはありますが、東芝の礎だったり、将来の成長の芽となる固定費もあります。それを4年間ずっと、削っていく。これでは将来の芽を摘んでいるのも同然です」と厳しく非難した。
その後、佐々木氏は13年6月、社長退任に追い込まれ、副会長に棚上げされる。そして新たに社長に就任したのが、パソコン関連事業で西田氏の腹心として尽力してきた田中氏だった。西田氏は、田中氏の社長就任会見で、佐々木氏時代に2期連続減収が続いていることを問題視して「(新社長には)もう一度、東芝を成長軌道に乗せてほしい」と語っている。
「成長軌道に乗せられなければ、佐々木氏の二の舞いになる」――
田中氏には、そんな思いがあったのではないか。本来なら財務基盤の強化をしなければならない状況の中で無謀な成長戦略を描き、自縄自縛に陥ってしまった。
東芝は14年3月期までの5年間にわたる利益減額修正幅は、1700~2000億円になるとみられ、傷口はさらに大きく広がることが予想されている。今後は監査体制の抜本的な見直しと経営陣の刷新が求められる。取締役は半数以上が退任するとみられている。
果たして東芝は、経営を刷新して生まれ変わることができるのか――。課題は山積している。
(文=松崎隆司/経済ジャーナリスト)