病院に行った後、処方された薬を受け取りに足を運ぶ場所といえば、調剤薬局だ。厚生労働省の調査によると、この調剤薬局は全国に5万7784店あるという。
そんな薬局業界の中で異彩を放っているのが、株式会社アイセイ薬局である。同社が発行している季刊フリーペーパーの「ヘルス・グラフィックマガジン」(以下、「HGM」)は、同業界で初めて日本デザイン振興会主催によるグッドデザイン賞の「グッドデザイン・ベスト100」を受賞した。
「HGM」は毎号15万部発行、年間読者数60万人を誇り、一企業が発行するフリーペーパーとしては、かなり規模の大きなものとなっている。その特徴は、思わず手に取りたくなる強烈なビジュアルデザインだ。
例えば、2015年春号の「頭痛」という特集では、オフィスらしき場所で働いている女性に筋骨隆々の覆面レスラーがヘッドロックをかけている姿が表紙を飾っている。また、13年夏号の「夏バテ」特集の表紙では、白熊がだらしない姿でプールに頭を突っ込んでいる。インパクトのあるデザインで、毎回読者を楽しませているのだ。
「HGM」は毎号、「頭痛」「夏バテ」「胃腸不良」などのワンテーマに絞り、“ヘルス・グラフィック”の名に恥じないデザイン、イラスト、画像でわかりやすく紹介している。「グッドデザイン・ベスト100」受賞も納得のクオリティであり、企業PRの成功例のひとつといえる。
なぜ、一薬局がここまでつくり込んだフリーペーパーを発行しているのだろうか。10年の発行当初から5年間、「HGM」の編集長を務めている同社コーポレート・コミュニケーション部の岩崎朋幸氏に、「HGM」がたどってきた道のりと今後の展望などについて、話を聞いた。
薬局は社会貢献をしているのか?
調剤薬局というと「病院の近くにあり、処方箋を出して薬をもらうだけの場所」という地味な印象を持っている人も少なくないだろう。だからこそ、「HGM」およびアイセイ薬局が異彩を放っているわけだが、そもそも、なぜ同社は「HGM」を発行しようと考えたのだろうか。
「第1号の発行は10年9月なのですが、この頃、弊社はジャスダックへの株式上場の準備期で、広報部門を私が請け負うかたちで10年の5月に転籍、『HGM』の発行を始めたのです。
『HGM』発行は、当然ながら、弊社の広報ツールとしての役割があります。しかし、それ以上に『調剤薬局業界を取り巻く状況を改善したい』という想いが込められています。調剤薬局は、『薬の過剰処方抑止や薬害リスクの回避』を目的に処方の監査機能を充実させるという『医薬分業』の考えの下で推進されてきたのですが、それでも高齢化の波を受けて医療費は年々増加し、13年度には40兆円を突破してしまいました。
医療費が増えると同時に、調剤薬局に充てられる公費なども増えていく中で、『<薬局は社会貢献をしているのか?>という命題を突きつけられている』と感じたのです。
そんな状況の中、利用者が納得するようなサービスを提供しなければ、薬剤師や薬局の評価は低いまま。そのため、『そういった状況改善のためのコミュニケーションツールとして活用する』という目的がありました。
そして、もうひとつの理由が健康寿命の延伸です。つまり、人生の中で健康な期間を長くすることで、医療費を軽減したいという狙いです。現在、65歳以上の高齢者層の年間医療費平均は65歳以下の約5倍といわれています。
日本が抱える国民医療費の高騰化抑制に貢献するためには、一人ひとりが“健康リテラシー”を持つことが大切ですが、学校教育などでは、そういった部分に多くの時間を割いているわけではありません。ですから、医療制度の中で事業を行う調剤薬局がその役割を担うことで社会的評価を得ていきたい。そういった想いが『HGM』の発行につながっています」(岩崎氏)
「予防医療」が薬局の新たな使命
確かに、アイセイ薬局の狙いが実現すれば、社会全体としては望ましい方向に向かう。しかし、調剤薬局としては売り上げが減ってしまい、結果的に“自爆行為”になってしまうのではないだろうか。
「確かに自己矛盾も生じます。しかし今後、自分の体に投資して病気を防ぎ、病人を減らす『予防医療』という流れをつくっていくのが、調剤薬局としての新たな使命である。アイセイ薬局は、そう考えています。
『HGM』では、病気になる前のいわゆる『未病領域』に関する特集を中心にしています。そして、生活習慣改善や栄養などの観点からも、読者のリテラシーを高めていきたいという編集方針です。
今は『HGM』を通じて啓発していますが、今後は予防医療のサービスを提供し、健康に関するビジネスモデルを構築していければと思っています。そのために、まずは『HGM』を手に取ってもらい、中を見てもらうことが大切です。そのために、毎号毎号、ふざけた表紙を真剣に考えているのです」(同)
毎号の表紙デザイン案は100本以上!
毎号、奇抜な表紙デザインが話題となっている「HGM」だが、それらはどのように生み出されているのだろうか。
「だいたい1年前には特集テーマが決まり、発行の半年前から企画やデザインに関する会議がスタートします。最終的には表紙のデザイン案を毎号100~150本つくり、その中から1本に決定します。どのような色使いにするか、見た人に不快感を与えないか、手に取ってもらいやすいか、などを考慮して決めていきます。
社内スタッフがデザイナーを含めて5名、外部にデザインを委託するスタッフが2名います。それに編集・ライターの3名を含め、10名程度で編集会議を行うのですが、次号の制作も同時並行なので、基本的には常時2号分の作業を行っています。
また、撮影にもこだわっています。例えば、冷え性特集の表紙では、氷で人体を表現したものを撮影するために、『継ぎ目のない巨大な氷はどこで買えるのか』というところからスタートしました。
その次に、冷凍倉庫の手配や氷の彫刻師にオーダーするためのモデル撮影です。そして、撮影スタジオでは氷が解けてしまうことも考え、彫刻師の方にやや粗めに削ってもらったものをスタジオに運び込んでから調整してもらい、さらにスタッフ総出で、手のひらで氷の彫像をこすって滑らかにしたりしました」(同)
最大の難関は社内の反発だった
スタッフの方々は「どうやったら読者に受けるのか」を考えることで、難しい撮影も楽しみながらやっているという。むしろ、一番大変だったのは発行当初だったと岩崎氏は語る。
「全ページに医師をはじめとした専門家の監修をつけているので、情報の精度に関してはかなり高いレベルだと自負しています。ただ、それを開示するだけではなく、誰もが吸収できるように、情報のボリュームをどうするかという課題がありました。
そこで、複数のテーマを扱うと読者が混乱してしまうと考え、『ワンテーマで1号読み切りにしよう』といったコンセプトを立てました。しかし、これは社内から理解されませんでした。
それまで、広報に関するセクションがなかった会社だったこともあり、『こんな奇抜なことをやって、クレームが来たらどうするんだ』『デザインがとがりすぎている』といった声が、内部から上がったのです。
それについて、意図を説明しつつ、読者など外部からの評価を頂くことで、社内でも認められるようになっていきました。今年、『HGM』が『グッドデザイン・ベスト100』を受賞したことも追い風になり、理解が進みました」(同)
薬局を「ブランド」で選んでもらうために
紆余曲折を経て生まれた「HGM」だが、岩崎氏は「アイセイ薬局の企業活動にも影響を及ぼしている部分が多い」と語る。
「処方薬の値段はすべて国で決められている公定価格なので、どの薬局でも同じで、薬も処方箋ありきです。そうなると、『何をもって差別化し、お客様に選んでもらうのか』というのは非常に難しい問題です。
これまでは『病院に近い』といった立地戦略に頼らざるを得ず、『薬局をブランドで選ぶ』という人はほとんどいなかったでしょう。そういった部分を打破するための企業PRとしても、『HGM』は活用されています。
発行を重ねるごとに、プレゼントコーナーの応募はがきに書かれるコメントも増えてきて、最近では80歳の女性から『こんなにわかりやすく情報が多いものが、無料で驚いている』という意見をいただきました。『とがったデザインにすることで、高齢者には受けないかもしれない』と思っていたのですが、うれしい誤算といえます。
また『HGM』は各店舗の近くの病院などにも配布しているのですが、メディアで取り上げられるようになってからは図書館や学校からの要請や、薬局とはあまり関係のない整骨院や歯科医院などからも問い合わせをいただくようになりました。さらには、弊社以外の薬局からも『置かせてほしい』という声をいただいており、コストシェア(費用分担)も含めて検討中です。
企業業績が悪くなると、コストがかかりがちな文化的事業は真っ先にコストカットの対象にされます。そこで『HGM』は、昨年から全24ページ中6ページに広告を掲載しています。そうすることで『HGM』のみでも収支が合うようにするのが狙いです」(同)
課題山積の薬局業界だが、「HGM」はこれからもアイセイ薬局のみならず、業界全体を盛り上げてくれるに違いない。
(文=牛嶋健/A4studio)