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「加谷珪一の知っとくエコノミー論」

日本企業が陥った、報じられない“マズい事態”…死屍累々の半導体ビジネスの二の舞か

文=加谷珪一/経済評論家
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パナソニック 宇都宮に有機ELテレビの生産拠点(写真:つのだよしお/アフロ)

 パナソニックが液晶パネル事業に続いて、半導体事業からも撤退することになった。半導体ビジネスは、完全に価格勝負の世界となっており、業界の主役は物量で勝る韓国勢や台湾勢に取って代わられている。日本メーカーは、米国やドイツのような高付加価値ビジネスに転換すべきだったが、多くの企業がこの決断ができず、新興国との不毛な価格競争に自らを追い込んでしまった。日本メーカーはどこで間違ってしまったのか検証する。

液晶パネルに続いて半導体事業からも撤退

 パナソニックは2019年11月21日、2021年をメドに液晶パネルの生産を終了し、同事業から撤退する方針を明らかにした。同社はこれまで傘下のパナソニック液晶ディスプレイ(PLD)を通じて、主にテレビ向け液晶パネルの生産を行ってきた。

 PLDは茂原工場、姫路工場など複数拠点を擁していたが、業績低迷が続き、茂原工場は2012年に国策液晶パネルメーカーとして設立されたジャパンディスプレイに売却。2016年にはテレビ向けの液晶パネルから撤退し、姫路工場に拠点を集約。医療機器やカーナビ向けに生産を続けてきた。だが市場環境さらに悪化したことから、完全撤退となった。

 もともとパナソニックは液晶パネル事業に積極的ではなく、当初はプラズマディスプレイを次世代薄型ディスプレイの主力と位置付け開発投資を行ってきた。だが液晶パネルの大型化が想定外に進んだことからプラズマディスプレイの優位性が低下。同社はプラズマと液晶の2本立てで生産を続けたが、2013年にはプラズマの生産も終了している。プラズマに続いて液晶からも撤退したことで、同社は薄型パネルを基本的に外部調達に切り換えることになる。

 液晶パネル生産終了の発表から1週間後の28日には、今度は半導体事業からの撤退も発表された。

 半導体子会社であるパナソニック セミコンダクターソリューションズ(PSCS)の半導体事業を台湾の半導体企業に2020年6月をメドに売却する。同社は2014年4月に、北陸工場にある半導体ウェハ製造工程をイスラエル企業との合弁会社に移管したり、シンガポールやマレーシアの半導体工場を香港企業に売却するなど半導体事業のスリム化を進めてきた。だが、競争環境がさらに激化したことから、PSCSを売却するとともに、イスラエル企業との合弁会社も完全に手放す。

 同社の半導体事業は歴史が長く、オランダのフィリップス社と合弁企業を設立した1952年にまでさかのぼる。パナソニックは基本的に完成品メーカーとしての性格が濃いが、1980年代には半導体の世界シェアもそれなりに高まり、デバイス・メーカーとしての地位も確立した。だが、その後は、韓国や台湾企業との価格勝負に巻き込まれ、業績が低迷していた。

1990年以降、死屍累々の日本の半導体ビジネス

 かつて半導体ビジネスは「産業のコメ」などといわれ、日本経済の牽引役だった時代もある。特に1980年代にはDRAM(記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリー)分野で日本メーカーが世界市場を席巻。米国が強い警戒感を示し、日米半導体協定の締結を要求するという事態にまで発展した。

 しかし、日本メーカーは1990年代以降、韓国勢や台湾勢との価格勝負に巻き込まれ、徐々に半導体市場での地位を失っていった。

 海外勢との体力差を埋めるため事業統合が進められ、1999年にはNECと日立製作所の部門を統合したエルピーダメモリが発足したが、経営はうまくいかず、経済産業省主導で公的資金が注入されたものの、同社は2012年に経営破綻。事業は米マイクロン・テクノロジーに売却されている。

 続いて2010年には、日立製作所と三菱電機の半導体部門とNECエレクトロニクスを統合し、ルネサスエレクトロニクスが誕生した。同社に対しても産業革新機構が出資を行うなど政府が全面支援したが、業績は安定せず、2019年1~9月期決算では営業赤字に転落している。

 まだまだある。単独で液晶パネル事業への巨額投資に邁進したシャープは、液晶の価格破壊に耐えられなくなり、2012年3月期から連続して巨額赤字を計上。2015年3月期には累積損失が1兆円近くに達し、経営危機に陥ったが、最終的に台湾・鴻海精密工業の傘下に入ることで何とか延命できた。

 極めつけは、日立製作所、東芝、ソニーの中小型液晶パネル事業を統合して2012年4月に発足したジャパンディスプレイだろう。同社は発足から2年でスピード上場したが、いきなり業績を下方修正し、その後は連続して赤字を計上。現在は1000億円の債務超過となっており、政府もサジを投げた状態にある。

戦後は10年ごとにパラダイムシフトが発生している

 先ほども説明したように、パナソニックはデバイス・メーカーというよりもセット・メーカーとしての性格が濃く、半導体デバイスも自社の最終製品に搭載する目的で製造しているので、それほど大きな損失を抱えたわけではない。だが、上記各社の経営危機からもわかるように、半導体デバイスに特化した企業は、目も当てられない状況となっている。隆盛を極めた日本の半導体産業は、なぜここまで落ちぶれてしまったのだろうか。

 最大の理由は自ら切り拓いてきた時代の変化に自身が対応できなかったことである。

 日本は戦争によって多くの産業インフラを焼失し、戦後はほぼゼロからのスタートとなった。当時の日本の主要な輸出品は繊維製品であり、輸出の多くを繊維関係が占めていた。戦後の極端な資金不足から、政府はすべての重工業を一律に成長させることは不可能と考え、傾斜生産方式を提唱。石炭と鉄鋼の生産に資源を重点配分することになった。まずは石炭の生産量を増大させ、その石炭を使って鉄鋼の生産を強化し、他の産業の発展につなげるという段階的な産業政策である。

 傾斜生産方式が、本当に戦後の高度成長に寄与していたのかについてはさまざまな見解があるが、実際に石炭と鉄鋼の生産は増加し、1950年には鉄鋼の輸出が全輸出の15%を占めるまで成長した。

 その後、時代の変化に合わせて、日本の輸出品目の割合はめまぐるしく変化し、1950年代には繊維の割合が急低下して電気製品と船舶の輸出が増加。1960年代には自動車や各種機械の輸出が大幅に増えた。そして1970年代の後半からは自動車の比率がさらに上昇し、1980年代に入ると一気に半導体の輸出が増加した。

 ところが1990年に入ると、日本の輸出品目構成比率がピタっと動かなくなり、現時点に至るまで各品目の比率に大きな変化が生じていない。1990年代以降におけるグローバルな産業動向を考えると、むしろ以前の時代よりも変化が激しくなっており、本来であれば日本の輸出品目はソフトウェアや知的商材が急増するなど、大きな項目の変化が生じていたはずである。一連の輸出品目の動きから、日本メーカーは1990年代以降、進化の動きを止めてしまったことがよくわかる。

本当に慢心だけが原因か?

 1980年代に日本メーカーが半導体市場を席巻できた最大の理由は、大量生産による価格破壊であった。現在、世界最大の半導体メーカーとして市場に君臨している米インテルは、当初、日本メーカーと同様、DRAMを製造していたが、日本メーカーがあまりの低価格で勝負に出てきたことから同分野から撤退。付加価値の高いパソコン用のCPUに切り換え、これが驚異的な成長の原動力となった。

 日本メーカーは大量生産による価格破壊を自ら仕掛け、先行メーカーを駆逐したが、この戦略は確実に後発の新興国に模倣される。実際、1990年代以降は韓国メーカーと台湾メーカーが驚異的な低価格で市場に参入し、日本メーカーはあっという間に駆逐されてしまった。

 本来であれば、日本メーカーはインテルのように高付加価値製品にシフトするなど、根本的な戦略転換を実施すべきだった。だが日本メーカーが採用した戦略は、韓国メーカーや台湾メーカー、さらには極めてコストが安い中国メーカーと真っ向から価格勝負するというかなり無謀なものだった。

 筆者は、韓国メーカーなどと価格勝負する戦略を採用してしまったと書いたが、実際は違うだろう。世界市場を席巻し、1人あたりのGDP(国内総生産)で先進国中1位になるなど日本企業は傲慢になってしまった。自ら変化しなくても勝てると思い込み、ビジネスモデルの転換を行わず、結果として韓国や台湾、中国と価格勝負する羽目になってしまったというのが実状だろう。

 もっとも、変化を怠った理由が慢心だけならば、それをあらためることで再出発は可能である。だがひとつ気になるのは、1990年代までの市場の変化とそれ以降の変化が本質的に異なっている点である。

 1990年代以前は、同じイノベーションでも、ハードウェア分野における変化だったが、1990年代以降は、ハードからソフトへという断絶的な変化が生じている。一連の断絶的なイノベーションに関して日本企業が著しく鈍感なのだとしたら、かなりマズい事態である。筆者は単なる怠慢が原因だと思いたいのだが、読者の皆さんはいかがだろうか?

(文=加谷珪一/経済評論家)

加谷珪一/経済評論家

加谷珪一/経済評論家

1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。現在は、経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行っている。著書に著書に『貧乏国ニッポン』(幻冬舎新書)、『億万長者への道は経済学に書いてある』(クロスメディア・パブリッシング)、『感じる経済学』(SBクリエイティブ)、『ポスト新産業革命』(CCCメディアハウス)、『教養として身につけたい戦争と経済の本質』(総合法令出版)、『中国経済の属国ニッポン、マスコミが言わない隣国の支配戦略』(幻冬舎新書)などがある。
加谷珪一公式サイト

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