「なめくさって」
頭にまず浮かんだのは、この言葉だ――。
元日産自動車会長のカルロス・ゴーン被告が国外に逃亡した。仏公共放送には、ゴーン夫妻や友人たちがワインを飲んで談笑する写真が、関係者から提供された。ロイター通信は<(逃亡)計画は3カ月にわたって練られた>との関係者の話を報じた。一方、米ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は、<逃亡計画は数週間前から妻キャロルさんの主導で進められた><先週末(19年12月28日まで)に計画実行チームが日本に集結した>とする関係者の証言を伝えている。
中東メディアのインデペンデント・アラピーヤ(電子版)は<「軍事関連会社」が実行し、「2000万ドル(約22億円)以上の費用がかかった」>としているが、もしこの通りだとすれば、没収された保釈金15億円と脱出費用22億円、合計37億円以上が大脱走劇に費やされたことになる。英紙ガーディアンは匿名のレバノン有力者の話として<(レバノンの)当局者は政界指導者からゴーン被告の入国手続きを無視するよう指示されていた>と伝えている。
関西国際空港をプライベートジェットで出発、12時間後にトルコ・イスタンブールに到着。別のプライベートジェットに乗り換えてレバノンにたどり着いている。2機の持ち主はトルコの実業家という情報がある。レバノンに入国する際にはフランスのパスポートを所持していたことが判明している。ゴーン被告はフランスから2冊のパスポートの発行を受けていた。このうちの1冊を昨年5月以降、東京地裁の許可を得て、中身が見える透明のケースに入れ、自由に使えないようダイヤル式の鍵を付け、本人が持っていた。鍵の番号はゴーン被告に知らされていなかったというが、これが使われたようだ。地検の関係者は「地裁の“特別待遇”が事件を誘発した」と怒りを隠さない。
ゴーン被告の代理人を務める弘中淳一郎弁護士は昨年3月、最初の保釈決定にあたり、「知恵を絞って逃亡や証拠隠滅があり得ないシステムを提示した」と胸を張ったが、当初から「いくつもの抜け穴があった」(法曹関係者)ことになる。抜け穴を見事に衝かれ、金にあかせた逃亡計画の結果、大穴があき、日本は大恥をかいた。
逃亡者・ゴーンは日本の司法制度に、後ろ足で砂をかけて、ベイルートへと去った。東京地検特捜部によって、国内のゴーン逃亡の協力者の割り出しが始まった。詳細は書けないが、海外のマスコミ関係者の関与が疑われているという。
疑われるレバノン政府の関与
レバノン政府が何度「関与していない」と表明しても、同政府が逃亡劇に関与した疑いは濃厚である。アウン大統領はゴーン被告に「レバノン市民としての保護」を約束し、昨年12月30日にゴーン被告が帰国を果たした直後、本人と面会したと報じられている。「あなたはこの国にとって宝だ」とアウン大統領が称賛した、との報道もある。
英紙インデペンデントのアラビア語版は1月1日、レバノン政府関係筋の話として、ゴーン被告の脱出計画について<レバノンの治安、政治関係者が少なくとも数週間前には把握していた>と報じた、と時事通信が伝えた。
地元テレビ局によると、ゴーン被告がベイルートの空港に到着した際、被告に近い友人らが出迎えた。この後、被告は大統領と非公式に面会した。レバノン政府はゴーン被告の日本脱出への関与は公式に否定している。大統領府の高官は1月2日、AFP通信に対し、「ゴー氏は大統領府に来ていないし、大統領に会っていない」と改めて強調した。
「ゴーンはいつかベイルートへ逃げると思っていた」
昨年4月25日、東京地裁の島田一・裁判官が証拠隠滅の恐れを認めながらも、「弁護士らの指導監督が徹底している」などとして保釈を許可した。この時点で検察関係者は「ゴーンはベイルートへ逃亡する」と予言していた。予言通りになったわけだ。
刑事弁護に精通する弘中弁護士や高野隆弁護士らへの信頼が東京地裁にはあったとされるが、「日本の刑事司法の恥を世界にさらした裁判所と弁護人の責任は重い」との指摘が検察だけでなく、法曹関係者からも出ている。
ゴーン被告は日本の司法制度を信用していなかった。「潔白を証明する」と常々言っていたが、その場所は日本ではなくレバノンだったということだ。米ウォール・ストリート・ジャーナルは、ゴーン被告の次のような声明を伝えている。<友好的な司法環境が期待できるレバノンで裁判を受けるつもりだ>。捜査の過程でゴーン被告の妻、キャロルさんが事件関係者と接触していたことが発覚した。
キャロルさんは、地検が押収したパスポートとは別のパスポートを使って日本を無断出国している。この時はフランス大使館員が空港までキャロルさんに付き添った、という情報がある。キャロルさんは自分がやって成功したことを、もっと大がかりに夫の逃亡劇で再現したのではないのか、という見方もある。
日本政府の強い要請でトルコの警察当局は1月2日、逃亡に関与したとされる7人を拘束した。ロイター通信によると、<4人が操縦士、2人は空港の地上職員、1人は貨物担当者>だという。レバノン当局は国際刑事警察機構(ICPO)からゴーン被告の身柄拘束を求める「国際逮捕手配書」を受け取ったことを明らかにした。レバノンと日本との間には犯罪人の引き渡し条約はない。レバノン政府は日本の要請があっても引き渡しに応じないとの意向を表明している。レバノンにいる限り、ゴーン被告は完全に保護されていることになる。フランス政府は「(ゴーン被告が)渡仏しても日本に引き渡さない」ことを明らかにしている。
あとはレバノン国内の若者の「金持ちをやっつけろ」と叫ぶ反政府デモの広がりに期待するしかないのかもしれない。「中東のパリ」と謳われたベイルートの町並みは建物の老朽化が目立ち、レバノンの経済成長率はゼロに近い。「ゴーン被告はこの国を腐らせたエリート層の仲間という見方ができる」との厳しい言葉も飛び交っている。地元レバノンでもゴーン被告の評価は割れている。
逃亡者・ゴーンは逃げ切ったのだろうか。
(文=有森隆/ジャーナリスト)