イオンが23年ぶりに社長交代を決めた。岡田元也社長は会長に残るが、創業家が引っ張ってきた昭和、平成の時代の終わりを告げる象徴的な人事だった。岡田家の御曹司、岡田尚也氏が2019年3月、フランス発祥の有機食品などのオーガニック専門スーパー、ビオセボン・ジャパンの社長に就任した。尚也氏は岡田元也社長の長男。岡田卓也名誉会長相談役の孫だ。元也社長はかねて「世襲は私で終わり」と口にしていたが、額面通り受け取る向きは少なかった。
創業者の卓也氏は、長男の元也氏をグループのコンビニエンスストア・ミニストップの店長に就け、小売業の最前線を経験させた。その後、トップに引き上げた前例があるだけに、尚也氏の人事に関心が集まる。元也氏も、尚也氏にミニ食品スーパー「まいばすけっと」の店長を経験させてから、元也氏の肝いりの事業であるビオセボン・ジャパンの社長に据えた。オーガニック食品のリーディングカンパニーになれば、尚也氏の後継の座が視野に入ってくる。
卓也氏と元也氏は、ダイエーに追いつき追い越せという強い気持ちで業容を拡大し、とうとう、そのダイエーを傘下に収めた。ダイエーの創業者中内功氏は名言を残している。
「息子を社長にするのは、いつでもできる。だが、経営者にすることはできない」
イオンを国内小売業最大手にした卓也氏と元也氏は、ライバルの中内氏が残した言葉を今、噛みしめているにちがいない。
折しも、有森隆著『創業家一族』(エムディエヌコーポレーション刊、税別定価1800円)が刊行された。トップ企業44社の血縁物語を綴る。
日本電産(永守家)は「終身社長型の創業家」?
“日本株式会社”の中心に位置するトヨタ自動車(豊田家)、ソニー(盛田家)、武田薬品工業(武田家)、パナソニック(松下家)、ブリヂストン(石橋家)やサントリーホールディングス(鳥井・佐治家)、セブン&アイ・ホールディングス(伊藤家)、イオン(岡田家)などの創業家一族を生体解剖している。現役バリバリの創業者であるファーストリテイリング(柳井家)、ニトリホールディングス(似鳥家)、ヤマダ電機(山田家)の3社は「終身社長型の創業家」と分類されている。言い得て妙である。
「闇営業」で話題になった吉本興業(吉本・林家)、父娘が経営権をめぐって死闘を繰り広げ、とうとうヤマダ電機の軍門に降った大塚家具(大塚家)、ドラッグストア再編のカギを握るマツモトキヨシホールディングス(松本家)、“かぼちゃの馬車”のシェアハウスのオーナーに建築資金を融資するにあたって、オーナーの預金残高を水増しするという組織ぐるみの不正が発覚し、存亡の危機に瀕したスルガ銀行(岡野家)も、しっかりフォローしている。
創業家一族が合併に猛反対した出光興産(出光家)、創業家とプロ経営者が衝突したLIXILグループ(潮田家・伊奈家)、リニア中央新幹線の談合裁判で対応が大きく分かれた鹿島(鹿島家)、大林組(大林家)も、きちんと追跡している。
創業家物語はえてして成功譚が中心だが、同書は、食うか食われるかの血縁物語であることに最大の特徴がある。家系譜(家系図)について、こう書いている。
<家系譜について触れておく。歴史は戦に勝った者によってつくられる。家系譜も同じである。一族の激しい抗争に敗れた人の名前とその人物に繋がる家系が、すっぽり抜け落ちているのが、いわば常識だ。社史の場合はもっとひどい。兄弟喧嘩の末に追放された創業者の長兄の名前がどこにもないことも珍しくない>
歴史にも経済の営みにも、「もしも(if)」はないが、もし日産自動車が新しい社史をつくった時に、カルロス・ゴーン被告(前会長)の扱いは、どうなっているのだろうか。年譜には書かれているが、見出しが大きく立った、細かな会社の来歴の記述には、ゴーンの「ゴ」の字が一切ない、といったことになるのだろうか。日産の新しい社史が日本語で書かれるとすればそうなっているだろう。フランス語なら、まったく別の展開になっているかもしれない。
わずか2年足らずで吉本浩之社長をクビにして、副社長に降格させた日本電産(永守家)を「終身社長型の創業家」に入れてほしかった。日産元副COOの関潤氏が新しい社長の椅子に座る。2年以内に結果を出さなければ、あまたスカウトして使い捨てにした“ポスト永守”と同じ運命をたどることになりはしないか。
永守重信会長兼CEOは30年度に売上高10兆円企業に飛躍させると言っている。永守氏の長男、貴樹氏は日用品雑貨品メーカー、レック(東証1部上場)社長。次男の知博氏はヘルスケア会社エルステッドインターナショナル(非上場)の社長。「息子たちは会社に入れない」と言明している。
「永守さんは先々のことを考えている。ゆくゆくは、会社を孫に継がせたいのではないのか。だから、社長は若いほうがいい」
孫たちに日本電産を引き継がせるための布石も打った。100億円を超える私財を投じて、理事長を務める永守学園(旧・京都学園)が運営する京都先端科学大学(旧・京都学園大学)に20年4月、工学部を開設。日本で唯一、モーター専門学部をつくり、卒業生を日本電産にリクルート。戦力にするつもりなのだ。
日清製粉グループ本社の正田家は美智子・上皇后の生家
日清製粉グループ本社の正田家は美智子・上皇后の生家である。1958年、皇太子(当時)と正田英三郎の長女・美智子との婚約が発表されると、日本中が沸き立った。女性週刊誌は軽井沢での“テニスコートの恋”と書き立て、在日外国特派員は「粉店の娘、皇太子妃に選ばれる」と本国に打電した。庶民から皇室に入るのは初めてとあって、シンデレラ扱いされたのだ。
「粉店の娘」とは、美智子妃の父親である正田英三郎が日清製粉のオーナー社長だったからである。しかし、創業者で英三郎の父である正田貞一郎は、もともとは醤油店。その前は米店だった。米店、醤油店から粉店に転身した。
正田家の祖先は源義家の孫・新田義重の重臣・生田隼人(しょうだ・はやと)に行き当たるというから、かなり古い。後世、上野国(こうずけのくに)新田郡世良田(せらた)にいた生田家の人々が、300年前に上州・館林に移って商人になった。
森永製菓の森永家は昭恵夫人の生家
森永製菓の森永家・松崎家は、歴代首相の在任記録を更新した安倍晋三首相の昭恵夫人の生家である。奔放な行動で知られる「アッキー」は、森友学園が新設する予定だった「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に就いていたことからスキャンダルの渦中の人となった。
「菓子王」と称えられた森永製菓の創業者・森永太一郎は、布教活動のために洋菓子づくりを天職と定めた伝道師だった。洋菓子の製法を身につけた太一郎が、日本に戻ってきたのは1899(明治32)年。東京・赤坂溜池に2坪の菓子工房を建て、森永西洋菓子製造所の看板を掲げた。太一郎は米国仕込みの腕をふるいマシュマロをつくった。
創業から6年後の1905(明治38)年、大きな転機となった。羽をはばたかせ大空を翔(かけ)るエンゼルを商標とした。マシュマロが米国では「エンゼルフード」(天使の糧)と呼ばれていたことに由来する。同年、10歳年下の松崎半三郎を支配人に迎えた。2人はとにかくウマがあった。2人を結びつけたのは信仰だった。まさに「神のご加護」。製造の太一郎と販売の松崎のコンビにより、森永のお菓子はエンゼルの翼に乗って大いに売れた。
松崎は晩年、2人の関係をこう語った。「森永翁と私は、表と裏、形と影の関係だった。渾然一体の存在となって、森永の歴史をつくってきた」
両家が縁戚関係になるのは、孫の代だ。太一郎の孫・恵美子と松崎の孫・昭雄が結婚した。草創期のパートナーであった森永・松崎両家は血縁で結ばれた。昭雄(森永製菓5代目社長)・恵美子夫妻の長女が、安倍昭恵氏。ファーストレディーの昭恵氏は、森永、松崎両家の固い絆の結晶なのである。
セブン&アイHDは伊藤家へ大政奉還
セブン&アイHDには2人の“創業者”がいた。ひとりはスーパー、イトーヨーカ堂を創業した伊藤雅俊氏。現在もセブン&アイHDの大株主である。もうひとりは、コンビニエンスストア、セブン-イレブン・ジャパンを創業した鈴木敏文氏。こちらは雇われ経営者から、流通業のカリスマと称されるようになった。会長兼最高経営者(CEO)として君臨してきた。
セブン&アイグループを日本有数の小売業に育て上げた両者の確執が、いきなり表面化し、鈴木氏は追放された。2016年4月、セブン&アイHDの取締役会。会長の鈴木氏が提案したセブン-イレブンの社長退任案に伊藤家が反対したのが発端だ。91歳の創業者と83歳のカリスマ経営者が対立したのは、鈴木会長・鈴木康弘取締役の親子による世襲の動きに対する創業家、伊藤一族の怒りが火を吹いたからだ。いかに社内の権力を掌握したからといっても鈴木氏は雇われ経営者である。その彼が次男の康弘をセブン&アイHDの社長に据えようとするのは“禁じ手”である。
取締役会では伊藤雅俊の次男、順朗取締役(当時)が井阪隆一社長を退任させる案に反対し、他に5人の社内外の取締役が「ノー」を突きつけた。過半数の賛成を得られず、鈴木氏の人事案は否決された。彼が権力を握ってから、数々の無理筋の人事案が諮られたが、創業家はこの時までは目をつぶって沈黙を守ってきた。鈴木氏は「なぜだ」と叫びたかったことだろう。
本書の著者は、鈴木氏を手放しで礼賛したりはしない。物言わぬ創業家が世襲を阻止し、人事で伝家の宝刀を抜くに至った経緯を簡潔にまとめている。これを読めば鈴木氏の乱の真相がわかる。
「セブン&アイHDの井阪社長が、今春、経団連の副会長に就任する」との噂が流れている。もし実現すれば、現在、常務執行役員経営推進本部長でNo.3の伊藤順朗氏がセブンの社長兼CEO として“新しい顔”となり、創業家への大政奉還が実現する。
コンビニ最強のセブン-イレブンの劣化が止まらない。スマホ決済「7Pay」(セブンペイ)の不正使用と、この問題発覚後の対応の不手際で、サービスの停止に追い込まれた。小売りで唯一、勝ち組とされるコンビニは、深刻な人手不足に直面する加盟店から時短営業を求める声が上がっている。コンビニ大手3社のうち、セブンの時短営業への対応は「周回遅れ」(関係者)と酷評されている。
19年10月、セブン&アイHDは大規模なリストラ策を打ち出した。06年に買収したそごう・西武にメスを入れ、西武岡崎店、そごう徳島店など5店舗を閉鎖し、西武秋田店、同福井店は売り場面積を削減する。セブン&アイHDの幹部は、本書で八方塞がりの現状の打開策をこう語る。
「次はイトーヨーカ堂の分社化(セブン&アイHD本体からの切り離し)と西武・そごうの売却だろう。西武・そごうは鈴木敏文の“負の遺産”という側面がある。井阪さんから伊藤順朗さんに大政奉還する時点で、イトーヨーカ堂の分社化が実現するのではないか」
創業家の御曹司の順朗氏を社長にする代わりに、創業家である伊藤家に、イトーヨーカ堂の本体から切り離しを認めさせるギブ・アンド・テイク作戦がとられると、本書は深読みしている。
『創業家一族』は随所に、著者の先読みが、さらりと書かれている。このうち、いくつの“予言”が当たるかが、本書の隠された醍醐味である。
起業家精神は甦るか
2000年代、米国ではGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)が、中国にはBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)が台頭した。20年前には取るに足りないか、存在すらしいていなかった企業群だ。
インターネットの勃興期に合わせて、従来はなかったサービスを生み出し、見事に市場を切り開いた。日本にはGAFA、BATに匹敵するようなIT企業は誕生しなかった。
かつて日本には起業家精神あふれる創業者が多数いた。昭和、平成初期の創業者は欠点もあったが、魅力に満ちあふれ、骨太だった。令和の御代に、起業家精神は甦るのか。同書は、重い問いを突きつけている。
(文=編集部、一部敬称略)