日本製鉄が事業環境の急変に備える姿勢が鮮明化している。今年1月、中国の鉄鋼メーカーが一斉に増産に動いた後、新型肺炎の影響もあり需要が大きく下落した。それにより、世界の鉄鋼価格は弱含みの展開になることが予想される。
そうした状況下、日本製鉄は生き残りをかけ、これまでの慣習や常識にとらわれず環境の変化に適応しようとしている。同社のトップ自ら国内外の製造拠点を視察し、世界規模での競争に勝ち残る力があるか否かを見極めようとするなど、経営陣の危機感はかなり強い。
米中の通商摩擦に加え、新型コロナウイルスによる景気の減速やサプライチェーンの寸断が中国を中心に世界の鉄鋼業界を下押ししている。今後の展開によっては、世界経済が大きな混乱に直面する可能性は高まっている。それに備えて、日本製鉄は思い切った構造改革を進める必要があるとみられる。それこそ生き残りのために、待ったなしの政策を迅速に打つことが求められる。
鉄鋼市場の一段の冷え込みに備える日本製鉄
バブル崩壊後、日本の鉄鋼業界は国内での鉄鋼需要の低迷、デフレ環境下での景気停滞、さらには中国やインドなどの鉄鋼メーカーの台頭に伴う低価格競争や業界再編などに直面してきた。そうした変化に対して、これまで日本製鉄は国内での業界再編と自動車向け鋼板など高付加価値製品の生産力を高めることで対応してきた。
現在、その鉄鋼業界にさらなる大変革が迫りつつある。世界経済の急速な変化と不確定要素の増大を受けて、グローバルに鉄鋼業界の冷え込みが強まりつつある。中国経済の減速などから世界経済全体で鉄鋼需要が低迷し、価格には下押し圧力がかかりやすくなっている。
2020年3月期決算において、日本製鉄は最終損益を400億円の黒字と予想してきた。しかし、こうしたリスクの高まりを受けて2月7日、同社はこの見通しを下方修正し4,400億円の最終赤字に陥ると発表した。この最終赤字規模は過去最大だ。
その背景要因として、鹿島や名古屋などの製鉄所(固定資産)に関する減損損失を計上すること、呉製鉄所の⼀貫休⽌(閉鎖)の決定に伴う損失計上などが業績下方修正に大きく響いた。また、中国での特殊鋼帯鋼圧延事業の撤退なども決定された。
こうした対応から示唆されることは、同社経営陣が早期に可能な限りの改革を進めようとしていることだ。2019年の世界の粗鋼生産量は18億6990万トンだった。うち、中国の生産量シェアは9億9634万トンに及ぶ。それに伴い、過剰生産能力が深刻化し、補助金に依存する中国鉄鋼メーカーもある。
中国勢を中心に低価格競争がし烈化する中で日本の鉄鋼メーカーが生き残りを目指すには、収益性の低下した事業の操業を縮小・停止することは避けて通れない。この考えから、日本製鉄は製鉄所の閉鎖という苦渋の決断に踏み切らざるを得なくなったのだろう。さらに、世界経済は新型コロナウイルスによる肺炎感染の拡大にも直面している。市場参加者の間では、それが世界の鉄鋼業界にさらなる混乱をもたらすとの懸念が増えている。
深刻化する中国鉄鋼メーカーの過剰生産能力
新型肺炎の発生は、中国を中心に鉄鋼業界の過剰生産能力をさらに深刻化させる恐れがある。1月、中国の鉄鋼メーカーは春節の連休を控えて粗鋼生産量を増やした。また、1月には、米中が通商問題に関する第1弾合意に至った。これは、中国経済にとって重要だったはずだ。米中が休戦協定を結び、経済対策の強化とともに、中国の景気に徐々に下げ止まりの兆しが出るのではないかと淡い期待を抱く市場参加者は少なくなかった。
問題は、湖北省武漢市を中心に新型肺炎の感染が世界各国で広がったことだ。人の移動が大きく制限され、中国を中心に世界に張り巡らされたサプライチェーンの寸断が深刻化した。米中が第1弾合意に至った直後に新型肺炎が発生した影響はあまりに大きい。
春節の休暇後も、中国では2億人程度の出稼ぎ労働者が生産や建設の現場に戻ることができていないとみられる。建設工事などが進まず、物流も混乱しているため、鉄鋼の在庫が急速に積みあがっている。さらに、個人消費への影響も深刻だ。2月、中国での新車販売台数は前年同月から8割程度落ち込んだ。供給と需要の両面で、中国の鉄鋼市場は急速に冷え込みつつある。このような新型肺炎発生の影響を考えると、自社の生産能力が大きすぎるという日本製鉄経営陣の危機感は一段と高まっていることだろう。
中国では過剰な鉄鋼生産能力の問題がこれまでに増して深刻化する可能性もある。すでに、世界第2位の鉄鋼メーカーである宝武鋼鉄と中国の鉄鋼第6位の首鋼集団の経営統合が共産党政権によって承認された。
中国政府は新規の鉄鋼生産の増加を抑えようとしてはいる。ただ、既存の過剰な生産能力の解消に踏み込むことは難しいだろう。ゾンビと化しつつある鉄鋼メーカーの整理などを進めれば失業が増加する。それは、中国の社会心理を悪化させかねない。今後も、中国では大手国有鉄鋼メーカーを中心に経営統合が進むと同時に過剰生産能力が温存され、低価格競争に拍車がかかる可能性がある。
一段と先行きの不透明感高まる鉄鋼業界
日本製鉄は、世界で進む高炉から電炉へのシフトにも対応しなければならない。二酸化炭素(CO2)排出抑制の観点からも、米国や中国では電炉の利用が増えている。一方、日本の鉄鋼生産の7割は高炉を用いている。高炉は15~20年といった長い期間にわたって稼働し続けることを前提に運営され、一度火を止めると再稼働にはかなりの時間がかかる。
3月に入り、日本製鉄は政策保有株式など資産の売却を進め、守りを固めようとしている。それは、環境の急速かつ大きな変化に対応するためには重要なことだ。海外での生産拠点の集約や合理化などが進む展開も想定される。同社経営陣の先行きに関する危機感は日増しに高まっているとみられ、さらなる改革の可能性は排除できない。
同時に、同社は今後の成長の柱となる事業も育成しなければならない。具体的には、環境負担の少ない生産技術の確立や、EV(電気自動車)などに用いられるより軽量かつ耐久性がより高い鋼板の製造、さらには国内の鉄鋼メーカーや電炉メーカーと連携し、効率性の高い鉄鋼生産システムの創出などに取り組む意義はあるだろう。そうした新しい鉄鋼生産のテクノロジーを生む出すことができれば、潜在的なインフラ投資需要が見込まれるアジア地域をはじめ、新興国での需要獲得への期待は高まるだろう。日本製鉄が供給量で中国勢などと競争することは難しい。同社がより効率的に高付加価値の生産を創出する体制を確立することは、成長を支える要素の一つとなるだろう。
今後、日本製鉄は組織を落ち着かせつつ、さまざまな改革に取り組まなければならない。鉄鋼産業は各地域の雇用、中小企業などとの取引だけでなくスポーツ活動を通して地域社会に深く根差してきた。それだけに、呉製鉄所の閉鎖に不安を覚える利害関係者は多い。
口で言うほど容易なことではないが、日本製鉄の経営陣が、中長期だけではなく短期的な事業安定のための方策をまとめ、組織全体が進むべき方向を明確に示すことの重要性は高まっている。そうした取り組みが、改革と成長を目指して組織の一体感を維持・向上させることにつながるはずだ。
(文=真壁昭夫/法政大学大学院教授)