「残念な人」舛添都知事が連発した「違法性はないが不適切」、その「深い意味」とは?
東京都知事の舛添要一氏が政治資金の使途で厳しい追及を受け、21日に辞任する。依然として払しょくできない疑念は山盛りだが、舛添氏の言うところの「第三者」の調査結果は「違法性はないが不適切」ということだ。
舛添氏が依頼した「第三者」が弁護士だった時点でこの落としどころは見え見えであったが、その辺も含めて今回は適法性と適正性の違いについて考えてみたい。
適法性と適正性の違い
適法性とは、法令等のルールに対する準拠性をいう。これは主に法律の世界の話である。専門家の領域としては、主に弁護士が専門とする分野といえる。
たとえば、人を殺すと罰せられるのは、刑法に「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」と定められているからだ。また、会社の役員が株主代表訴訟により多額の損害賠償責任を負うことがあるのは、会社法に「役員等は、その任務を怠ったときは、株式会社に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と定められているからだ。
それに対して適正性は、実態を伴っているかを問題にする。場合によっては、妥当性というある種の価値判断が入ることもある。適法性がルールに照らした形式的判断であるのに対し、適正性は実質的判断といってもよい。
会計が主として問題にするのは、こちらのほうである。たとえば、公認会計士が会計監査で問題にするのは、決算書という会計情報が企業の実態をちゃんと映し出しているかどうかということだ。したがって、適法であっても適正でないことはいくらでもあり得る。というより、会計監査では適法性が問題になることはあまりない。問題になるのはほとんどが適正性だ。
たとえば、東芝は期末近くに協力会社に大量に販売したものを翌期に買い戻すことによって多額の利益を計上していたことが不適切とされたわけだが、そこで問題視されたのは、恒常的に協力会社から買い戻していたという事実である。買い戻しが恒常的だったということは当初から買い戻すことが予定されていたはずで、そうであるならばそこには販売の実態はなかったということになる。
東芝の場合、明確な会計基準違反があったわけではないので、違法とはいえない。だから、東芝の件は「不適切会計」とはいわれても「違法会計」とはいわれないのである。