「残念な人」舛添都知事が連発した「違法性はないが不適切」、その「深い意味」とは?
「違法性はない」と言わせたかった
舛添氏が第三者として法の専門家である弁護士を選んだということは、適法性を問題にしようとしたということだ。そして、「違法性はない」というに結論になることはわかっていたことである。
なぜならば、根拠法となる政治資金規正法には、資金の使途については明確な定めがないからだ。それが、同法がザル法といわれる所以であるが、同法の立法趣旨は不透明な資金の流れを防止するところにあるので、未記録や虚偽記載は違法であるが、漫画『クレヨンしんちゃん』の購入までご丁寧に記録している以上、どこにも違法性はないのである。調査報告で弁護士が「政治資金には明確な範囲がない以上、違法性はない」と何度も繰り返していたのは、そういうことだ。
舛添氏は、この「違法性はない」という言葉をとにかく言わせたかったのだろう。「違法性がなければ、罪には問えないですよね?」というのが舛添氏のシナリオだったのである。
ただ、弁護士が「違法性はない」と断った上で「不適切ではある」という言葉を連発したのは、少々意外だった。不適切という適正性判断をするためには、政治資金とされた資金の使途が政治活動としての実態を伴っていたかが問題になる。しかし、政治家が政治活動だと言えばすべて政治活動になるといわれるように、その判断は非常に難しい。さらに、調査は舛添氏に対する聞き取り調査がメインで、裏付け調査はろくにされていないので、「不適切」という発言は弁護士の個人的な心証ということになる。
会見での弁護士の弁では、裏を取るまでもなく明らかに不適切と判断できるというトーンであったが、それにしても弁護士たる者、裏も取らずによくもあれだけ「不適切」を連発できたものだと思う。それは「違法性はない」だけでは終わらせたくなかった弁護士としてのせめてもの意地とも取れるが、「不適切」と言ってもらうことまで含めて舛添氏のシナリオだったとも考えられる。公衆の面前で「不適切」と叱責される姿をさらせば、それでみそぎが済むと考えたとしてもおかしくはない。そう考えると、「不適切」と叱られるシーンはよくできた演出なのだ。
東大法学部にストレートで合格し、東大助教授まで務めた頭のいい方である。それくらいのことを考えてもおかしくはない。頭はいいのだろうけど、とてもいいのだろうけど、あまりにも器が小さい。とても残念な人である。
(文=金子智朗/公認会計士、ブライトワイズコンサルティング代表)